きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

言葉としての「権利」と「虐待」。

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言葉は認識の枠組みです。だから、言葉が変わると認識が変わります。認識が変わると行動が変わります。行動が変わると社会が変わります。ただし、言葉をどのように変えるかは、僕ら次第。

 

精神分裂病」は「統合失調症」と言い換えることで、当事者への偏見が減りました。海外ではスティグマ軽減策として、法律を名称変更した例もあります。

 

韓国:生活保護法→国民基礎生活保障法(1999)
ドイツ:社会扶助法→求職者基礎保障法(2005)
(出所/日本における申請主義の現状と課題

 

日本でも日弁連が「生活保護法」という名称を「生活保障法」に変更することを提案しています。言葉ひとつで、ものごとが良くも悪くもなります。


* * *


僕は「権利」「人権」という言葉に、押し付けがましさを感じます。でもその中身を知ると、素晴らしい。このズレは何だろうかと思い調べてみました。

 

「権利」は「rights」の訳語です。文明開化の時代、日本人は、押し寄せる外来語に漢語をあてました。「権」と「利」の本来の意味は下記の通り。

 

「権」

はかり。権衡
はかる、はかりごと。権謀、権謀術数
(重み→)社会的な重要性、他人に何かを強制することのできる力。
権力、権威、権限、権勢、権能、権利、権益、権柄


「利」

鋭い。鋭利
都合が良い。便利、利用
かしこい。利発
役に立つ。利器
通りをよくする。利尿、利水
潤い。もうけ。恵み。利潤、利益、御利益

押し付けがましく感じるのは、「他人に何かを強制することのできる力」とか「都合が良い」といった意味が含まれるからかもしれません。音に「か行」の「K」が入るせいで硬い、刺々しい感じもあります。


では「rights」は?


英語話者に聞くと、多くの方が、「正しい、正当な、適切な、というニュアンスで、powerの意味はない」といいます。

 

ちなみに「人権」の原語「human rights」を同じニュアンスで言い換えると、「人間として適切なこと」。

 

同じように違和感を感じる方は少なくないようで、「rights」の翻訳過程を検索すると、同じ趣旨の記事が出てきます。

 

「権利」=「正しい」ということ
「権利」という語の生成、変遷および定着
訳語「人権」の成立について

 

言葉には引力や磁力があります。だから「権利」のように、硬い語感で、かつ「他人に何かを強制することのできる力」の意味を含むような言葉を使い続けると、そういう方向に引っ張られていきます。

 

「コミュニケーション」が訳さずそのまま使われているのと同様に、この際「ライツ」でもよいのではないかなと。

 

 

* * *

 

「虐待」という語も半ば誤訳ではないかと感じていたところ、チャイルド・ファースト・プロジェクトの小橋孝介先生がその講座の中でそのまま指摘しておられたので、紹介します。

 

・「虐待」という言葉はよくない。「虐」の語源は「トラが爪でひっかく」。


・「子ども虐待」に当たる英語も、時代とともに変化している。
①Chid Cruelty   子どもへの残忍な行為

②Child Abuse    大人の権力濫用(Abuse)

③Child Maltreatment 不適切な養育

今は③。

 

この本でも、「虐待」という言葉に違和感を表明しています。 

子どものための精神医学

子どものための精神医学

 

「虐待」の言葉を当事者はどう感じるだろうか。「虐待」とは子育てのむずかしさからの養育の失調・失敗という視点ではなく、子どもへの一方的な「加害」「権利侵害」という視点から問題をとらえる概念である。このとらえにはかたよりがある。そのうえ、日本語としてどぎつすぎまいか。人への支援が成り立つにはなんらかの共感のまなざしが必要だが、この言葉にはそれがない。
(中略)
しかし、育児のむずかしさや、なぜ子育てが失調するかのリスクファクターに目を向けられることなく、この否定的・断罪的な用語が社会に流布されたのは問題解決のためによかったのだろうか。
(中略)
それでもあえて児童福祉がこの言葉を選ばねばならない必然性がどこにあるのだろうか。
(子どものための精神医学 P333)


すぐに代案は浮かびませんが、厚労省にはぜひ見直しを提案したい。もうどなたか提案しているかな?

 

* * *

 

論語で知られる孔子は、社会を良くする考え方として「正名論」=「名前を正しくすること」を唱えました。そもそも「起こっていること」と「名前」はズレている。ズレが大きいとおかしなことになる。ズレが少ないと適切な認識と行動につながり、それによって社会が適切に機能するという考え方です。

 

現象に対してどんな言葉が適切か、正解があるわけではないですが、違和感を感じたら都度軌道修正していくしかないとも思います。

 

現場からは以上ですー。

 

2020/6/30追記

日本の人権は欧米のそれと異なる、という興味深い話。

日本人はなぜ「人権」をうまく理解できないのか、その歴史的理由(森島 豊) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)