きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

「孤育て」から「子育ち」へ。

 

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 「孤育て」の予防から「子育ち」の支援へ。 団体創設10年目を迎える 今、僕はこのメッセージを皆さんにお伝えしたいと思っています。


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団体を設立したのは、10年前の11月3日。準備は春くらいからやっていましたが(記憶おぼろげ)、まだ名前のない「きずなメール」を始めるにあたって、やったことが「ステートメント」を書くことでした。


僕には「全ては言葉である」という思い込みと信念があります。だからこれから始めることを、自分なりの言葉で捉えられれば実現できるかも、と思ったのでした。 


完成したステートメントは妻との共作で、その後何度か改訂を経た、2011年5月時点のものがこちらにあります。

この2行目に、

 

「乳幼児虐待」「産後うつ」「孤育て」(孤独な子育て)という悲しい問題が横たわっています。


とあり、この頃に初めて、「孤育て」という言葉を使っています。その後、団体のmission として前面に押し出されて、今に至ります。

 

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まず「課題」があって、それを解消する「方法」が見つかる。でも僕の場合は、「きずなメール」という「方法」が先あって、その後「孤育て」という「課題」を見つけました。「きずなメール」という「素材」があって、素材が社会で最も役立てる環境を整えていったともいえます。


創業2年目くらいまで、この”逆転した感じ”に気後れを感じていましたが、ある本が、これは当たり前であることを教えてくれました。その時の感想を、こちら↓のブログに書いています。

 

ameblo.jp

誰もが制約条件の中で、何かを生み出したり、創り上げたりしていく。そういう方が圧倒的に普通であり、歴史はそういう”普通“でできている、と。


後にNPOには【課題解決型】【価値創造型】があるとの分類を知り、きずなメールは「価値創造型」だと理解しました。


あれから10年。「孤育て」の語は子育てを取り巻く課題のひとつとして、認知されてきています。だとしたら僕らも、「孤育て予防」のmissionは保ちながらも、さらに一歩進んだmissionを考え始めてもよいのでは、と思ったときに出会ったのが、“子育ち”という言葉です。


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なぜ”子育て”ではなく”子育ち”なのか。


保育士試験のテキストを読んでいると、「環境を通して」「環境に親しみを持ち」など「環境」という言葉が頻出します。不思議だったので調べると、「環境さえ整えば、人間は自ら育つ」ことを前提とした言葉遣いだとを知りました。


さらに調べていくと、西洋のhuman rightsの思想(人権思想 ※)が源流にありました。


human rightsの思想は、見えにくいですが、僕らの周りに静かに広がって根付いています。もちろん、子どもにも適用されて、1990年「児童の権利に関する条約」(United Nations Convention on the Rights of the Child)に結晶しました。


日本では2016年、改正児童福祉法第一条に「児童の権利に関する条約に則り」という文言が組み入れられました。この改正は「保護対象としての子ども」から「権利主体としての子ども」への大転換と言われています。


「子育て」という言葉は、「保護対象としての子ども」のイメージが濃いです。守ることは大事ですが、日本の親世代は「子どもを保護して、健康に、正しく、賢く育てなけれればならない」「母親は愛情深く子どもに接しなければならない」という無言の社会的要請に疲れ切っているように見えます。親も普通の未熟な人間なのに、なぜ子どもを正しく導いたり、道徳を教えることができるのでしょうか。


僕らにできるのは、子ども自身の”育つ力”を支える、応援する、環境を整える、くらいではないでしょうか。


「子育て」=保護対象としての子ども=大人が子どもを守り導く
「子育ち」=権利主体としてしての子ども=大人は子どもの”育ち”を支える


10年たった今、「子どもの最善の利益」(the best interests of the child)を考慮する意味も込めて、「子育て」から「子育ち」へと、意識を少しずつ変化させてもよいのでは、と思うのです。

 

もうすぐ春ですねー。

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※「権利」「人権」という言葉の語感に違和感を感じるのでひとまず「human rights」と表記しています。その理由は↓こちらに。

kizunamail.hatenablog.com