きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

「音と模様」を共有している私たち

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先日、風呂の中で突然、ある詩の一節の意味が腑に落ちました。その備忘として。

「詩の本質は、発語の共有だ」

現代詩作家・鈴木志郎康の作品「住んでる人しか知らない道」の言葉です。

20年ほど前、僕はこの詩作家の愛読者でした。とくにこの作品が好きで、でも当時はネットにしかなかったので、プリントしたものを持ち歩いて繰り返し読んでいました。

鈴木志郎康といえばプアプア詩が有名ですが、僕はプアプアが落ち着いた、「柔らかい闇の夢」以降の作品のファンです。
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それはさておき。20年前のことを突然思い出して、わかった気になる。伏線があるとしたら、最近、言葉の認知について、「あらゆることが音と模様に還元できそう」など考えていたためかもしれません。

例えば愛の告白。「好きです」という「発語」は、「sukidesu」という喉の筋肉の運動が「音」として空気振動になって、
相手の鼓膜に届いて、電気信号として脳に届いて、さらにそれがホルモンなどの生理現象に変わって、心臓がドキドキする。

ラブレターをもらったとして、紙に書かれているのは、文字という「模様」。「模様」が光を通して目の膜に映り、それが電気信号にとして・・・以下同。

音と模様。
サウンドとデザイン。
Sound & design.
やっぱり音と模様。

紙が貴重品だった時代、詩は歌でした。
万葉集の時代、気持ちを歌に乗せて共有する。
NPOでは、言葉になったvision missionを共有する。
社会を運営するために、法律の言葉を共有する。
どれも共有されているのは、「音と模様」です。
 
さらに、
「意味」という言葉も、「imi」という音であり「意味」という文字の模様。
「感情」という言葉も、「kanjou」という音であり、「感情」という文字の模様。
「共有」という言葉も、「kyouyuu」という音であり、「共有」という文字の模様。

こう考えると、実際に何を共有しているのかわからなくなるけど、何かを共有している感覚はある。

朝起きて、家人に「おはよう」というと「おはよう」と返ってくる
ここで共有されているのは、
「挨拶すると返事するくらいの気分」
「わたしはいつものとおりいます」
という暗黙の情報であり、場合によっては
「今日も生きています」
「今日もあなたと一緒にいます」
という情報かもしれず、
解釈はいくらでも複雑にできるけど、
その瞬間、共有されているのは「発語」であり、
それは「音と模様」なのかなと。

この気づきを与えてくれた詩の一部を、作品への敬意を込めて「kyouyuu」します。
 

当人も他人も忘れてしまう姿を留めたいとは思いながら、
でも、わたしもいつかは忘れてしまう。
小さなことだ。
でも、生きてる。
そこで、言葉。
言葉になり変わる。
わたしは言葉になり変わる。
万感を込めて、言葉になり変わる。
道ばたの草のような言葉になり変わる。
いつか少女が、そこに素手を差し入れて探し出してくれる。

 

鈴木志郎康 作「住んでる人しか知らない道」より引用 

 

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