「わかっていなかったこと」が「わかる」のは、それが「わかった時」です。
妻は、わかめと豆腐と玉ねぎの味噌汁をよく作ります。彼女がこれをよく作るのは、「好きだから」だということを、僕は最近まで「わかっていなかった」のでした。
「嫌いなものを、特別な理由もなく、自ら頻繁に作る人はいない。選ぶ人もいない」ということに、53歳の今頃、気づきいたのです。恥ずかしながら。
遅すぎるかもしれません。でもなんとか生きてきました。子どももいて、なんとか育っています。theory of mind の問題かもしれません。僕自身は、世界の見え方が少し変わったと感じます。
「嫌いなものを、特別な理由もなく、自ら頻繁に作る人はいない。選ぶ人もいない」のはマーケティングの基本だと思います。今まで気づかないでもやって来れたので、気づいた今はブルーオーシャンです。
「この人、嫌だな」と思ったら、黙って離れていく人がいるということも、最近まで「わかっていなかったこと」でした。
この「わかっていなかったこと」が「わかった」とき、過去に、多くの人が僕から黙って離れていったのだということを理解しました。よく考えると、僕も無意識にそうしてきたのです。
さすがにちょっと、いやかなり悲しいですが、同時に、今近くにいてくれている人、関わってくれている人は、とても有り難い、かけがえのない存在だということも、わかりました。感謝です。
僕は、世界は99%、「わかっていなかったこと」で構成されていると感じます。「わかっていなかったことで構成されている」などなぜ「わかる」のか。誰かに聞いてみたい気もしますが、まずは自分で考えます。
雨上がりの近所の公園。