きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

現代詩の価値について

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先日ミーティングで、「現代詩が支えでした」と述べることがありました。言葉にしたことで、現代詩の価値を伝えるのは、恩恵を受けた者の役目かもと感じました。大量情報時代の今、詩は絶滅危惧種です。良いものだから残るとは思うけど、残す努力はしないと。冷めないうちに実践します。
 
* * *
 
詩を読み始めたのは、20歳代後半のある朝でした。出勤前に「英語の科学的学習法」という本を読んでいたら、「日本人は犬を『犬』と認識するが、アメリカ人は犬を『dog』としか認識しない」といった一文があり、これを読んだ時「人間は言葉でできている。ならば詩だ」となり、そのまま家を出て荻窪駅前のブックオフに寄り、詩集らしきもの探して開いたときに出会ったのが、この作品でした。
ことば
 
谷川俊太郎

問われて答えたのではなかった
そのことばは涙のように
私からこぼれた

辞書から択んだのではなかった
そのことばは笑いのように
私からはじけた

知らせるためではなかった
呼ぶためではなかった
歌うためでもなかった

ほんとうにこの私だったのだろうか
それをあなたに云ったのは
あの秋の道で
思いがけなく ただ一度
もうとりかえすすべもなく
 
詩は言葉の運動です。哲学や論理の別の顔です。人間は言葉でできているので、紙の黒い模様(=文字)や脳に浮かんだ音の並びで、いつもの世界が違って見えてくる。それはスペクタクルで官能的で、脳がねじれるような感覚。短いので、身体ひとつで持ち運びできます。
 
この「ことば」という作品は、「私」が何をいったかはわからない。答えがあるわけでもない。でもそこに何かあったように感じられ、それを知りたいと思わせてくれます。
 

これを読んだとき「ああ、これこれ!」と説明不能な納得をしてその詩集を買い、詩を読む日々が始まりました。

 

好んで読んだのは谷川俊太郎黒田三郎鈴木志郎康石垣りん小池昌代など。記憶力は弱いですが、フレーズはいっぱい覚えているので、身体化されているのでしょう。

 

* * *

 

記憶はウソをつくので、僕の「ある朝から突然、詩を読むようになった」というストーリーは、割り引いて捉える必要があります。

 

僕の読書はそれまで、ミステリーやSFでした。それでも、韻文などの「詩」が、文学として最上級の敬意を払われていることは知っていました。その秘密を知りたいと思っていて、この朝、自分なりの手がかりを得たのだと思います。20年以上も前の話です。

 

詩は短詩形、light verse ともいわれ、世界中で親しまれている言葉の形です。短歌や俳句、漢詩も詩のバリエーション。TwitterなどのSNSにも、詩に通じる言葉の運動が見られます。

 

検索したら、僕が好んだ作品が若い人々に評価されていて嬉しくなりました。良いものが時代を超えてアーカイブされるのはネットのよいところです。

 

大量情報時代は、自分に何をインプットするかを選べます。詩のような言葉の運動は、日常の風景を変化させます。夕焼けを見て「美しい」という語を結んだ瞬間、その風景が「美しく」なる。瞬間が永遠になる。こういう時間を誰かと共有できれば、素敵ですね。

 

東大前の桜。

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