「不可能を可能にした実例」は、人を励ましてくれます。この本に、きずなメール事業に直結する例が2つあったので、共有します。
著者は、町の塾から一代で、幼稚園から大学までの教育ネットワーク「星槎グループ」を作った宮澤保夫氏。なぜそんなことができたのか知りたくて読みました。
不可能を可能にした実例① 法文解釈
「学校を作る」のは並大抵でありません。手続きだけでも、大臣や知事の認可で時間がかかります。でも著者は、急ぎたい。1981年のこの頃、著者が作る学校を必要としている子どもたちが大勢いました。そこで頭を捻り、法文の独自解釈に活路を見出します。
学校教育法45条(現55条)〔定時制/通信制の技能教育〕
高等学校の定時制の課程に在学する生徒が、技能教育のために施設で当該施設の所在地の都道府県の教育委員会のしていするものにおいて教育を受けているときは、校長は、文部科学大臣の定めることにより、当該施設における学習を当該高等学校における教科の一部の履修とみなすことができる。
この条文は、高度成長期、中学を卒業したばかりの従業員に、企業内で高卒資格を取得できるように設けられました。東京電力や日産などの大手は、企業内に「技能連携校」を作って、従業員の高卒資格取得を支援しました。
1980年代、この条文の役割は終わりかけていましたが、著者は次のように考えます。
何度条文を読み返しても、企業「内」に設置しなければならないとは書かれていない。そうであれば、「外=町」に出してもかまわないということになる。外に出した技能連携校に子どもを集め、どこかの通信制高校と連携しても、法的に問題が出てくるとは考えづらい。
何度も何度も自分に問いかけ、考えを深めた。誰も思い付いたことのない方法だったが、ここに活路があると思えた。
(「人生を逆転する学校」P54)
「内につくれ」と書いてないから「外に出してもかまわない」。詭弁のようにもみえますが、肝心なのはその動機。著者のつくる学校を、待っている子どもたちがいます。著者は関係者を粘り強く粘り強く説得して、1986年2月、文部省の認可がおりました。
昭和60年11月19日付けの申請の施設を、学校教育法第45条の2の規定による技能教育のための施設として、下記の通り指定します。
昭和61年2月25日
文部大臣 海部俊樹
1.技能教育のための施設の名称 宮澤学園高等部
「こんなことができるんだ!」が最初の感想でした。次に「こういう例は、僕らの目に触れていないだけで、社会にはたぶんいっぱいあるんだろうな」とも思いました。
きずなメール事業は「学校」とは違いますが、前例がないのは同じ。「テキストでつながり続けるセーフティネット」という新しい方法と価値を、いかにして、国や自治体などの「公共」に組み込んで普遍化していくか。法律を含む「公共」の文書(ドキュメント)に働かけたり、新しい解釈を生み出すことは、できるのです。
不可能を可能にした実例② 非課税と通学定期
学校は、教育基本法に定められた「一条校」と「非一条校」に大別できます。
「一条校」:非課税、通学定期が適用される。
「非一条校」:一条校以外の学校。課税される。通学定期は適用されない。
宮澤学園高等部は非一条校なので、課税され、通学定期は適用されません。
しかし私は生徒が通学定期を購入できるようにさせてやりたかった。経済的な負担軽減もあるけれど、学生として認められることがどれだけ彼らの勇気づけになるか、想像に難くなかった。
(「人生を逆転する学校」P63)
著者は粘り強く粘り強く取り組み、キーマンのひとりである大蔵省K指導官にたどりつきますが、取り合ってくれません。
私を支えるひとつ「できないことを立証するのは難しい」という信念がある。できないと皆からいわれていることも、とことん検証していくと、必ずどこかに「できる」部分が存在する。それを見つけ、点と点をつなぎ合わせて一本の線にすれば、マイナスがプラスに、不可能が可能にひっくり返る。つまり、100%ダメなものなどこの世にほとんど存在しないわけである。 (「人生を逆転する学校」P66)
この信念のもと、著者はK指導官と少しずつ距離をつめ、対話の回路を開き、ついに実現してしまいます。
宮澤学園に黒塗りの車がきたのは、2日後の5月31日だった。
保土ヶ谷税務署長がニコニコしながら車から降りると「おめでとう」と、一枚の紙を差し出した。
「その他変更・異動届け書」
と銘打った書類に記されているのは、「宮澤学園高等部」という法人名と住所、団体代表者の私の名前。そして、
「下記の通り変更・異動したので届けます。非課税事業に変更(収益事業は廃止)/変更・異動(登記)年月日・(昭和)61・4・1」
(「人生を逆転する学校」P70)
きずなメール事業も10年前、志(こころざし)ある公認会計士さんが杉並税務署に、「公益性から考えると非課税ではないか」という問い合わせをして下さったことがありました。回答はNoでしたが、同書を読んで、「単に、最初の1回目だったんだ!」と気づきました。やるなら最低、あと20回はやるべきでした。
話を戻します。
100%ダメなものなどこの世にほとんど存在しないわけである。
そう思います。きずなメールを始めた時、「テキストメッセージがセーフティネットなる」とは誰も考えていませんでした。僕自身も「セーフティネット」という言葉はあてていませんでした。でも実際に機能しているところを見ていると、「セーフティネット」としか言いようがない。やがて、「セーフティネットとして機能させる」という僕らの言葉と行動が、事物をそのように形作っていると理解しました。
元、塾講師だった著者は、こうもいいます。
私たちは英語を教えていて、英語を教えているのではない。
数学を教えていて、数学を教えているのではないのです。 では一体どういうことなのかと言うと、 教室で私たちは教科という媒体を通して、 自分自身を伝えているのです。(宮澤保夫著「人生を逆転する学校 情熱こそが人を動かす」P37)
僕自身は「不可能なものを可能にする」とはまでは言えませんが、
100%ダメなものなどこの世にほとんど存在しない。
とは言えます。乗組員のみなさんと、これを体現してきたいと思います。
片目のバンクーバー・サンドウィッチ。