伝えたいことがある時、宛先が明確だと伝わりやすいです。今回は、息子娘への手紙として書いてみました。実際に彼らに伝えたいことでもあります。
* * *
「言葉が身体化する」とは何かの例えではないです。これは日々、人間の生活で起こっていることです。
例えば「人の気持ちを考えなさい」という言葉を音にすると「hito no kimochi wo kanngaenasai」。この音を脳で何度も繰り返しているうちに、他人の気持ちを考えたりするようになります。これが「言葉が身体化する」ということです。
逆もあります。幼子がやったことを親が「それが人の気持を考えるということだよ」と教えることで、「sorega hitonokimochi wo kanngaeru toiukotodayo」という音の列が、自分のしたことを意味付けてくれます。こうして言葉が身体化していきます。
同じことを、例えばアラビア語でいわれても、できません。君たちも父も、アラビア語の音と意味を理解できないから。
言葉に意味があるのではありません。辞書にあるのは意味ではなく、言い換えの体系です。意味は、ぼくらがそのように振る舞って形作られてきたものです。言葉に意味があるのではなく、人間の行為が言葉に意味を与えています。言葉と身体(からだ)はつながっているのです。
父は、こういう言葉の有り様を、君たちが豊かに生きるために活かしてもらいたい。父もそのように心がけています。活かし切っているとはいえないけど。
* * *
父が思う言葉の有り様をひとつ、伝えてみます。
心理学に「内言」という考え方があります。この場合は「自分にかける独り言」と考えてみてください。
生活していると、こんな内言が頭の中を行き交うことがあります。
「私はどうせ◯◯だ」
「僕はしょせん◯◯だ」
注意すべきは、「◯◯」の内容ではなく、「どうせ」「しょせん」という副詞です。こういう副詞は、内言の時も使わないようにするのです。それだけで、自分への接し方が変わります。例えば、
「私は◯◯だ。……」
「僕は◯◯だ。……」
「どうせ」「しょせん」を使わないだけで、なぜかその後に違う流れが出てきて冷静になれます。すると「どうせ」「しょせん」という言葉を使う合理的な理由や根拠を、説明できないことに気づきます。
父はこのことに気づいて、実際に使うのをやめてみて、それまでに見えなかった自分の側面を知ることができました。そしてそれは、それは自分自身を勇気づけてくれるものでした。
「どうせ」「しょせん」に限らず、内言でネガティブな言葉を使わないことは大事なことです。ネガティブな言葉で、自分で自分を切り捨てる必要はないのです。だからこの方法、君たちにもぜひ勧めたい。
* * *
www.kunaicho.go.jpwww.youtube.com
配慮に満ちた美しい日本語と感じました。子どもから老人まで届くよう、一字一句厳選した厳しさも感じました。とてつもない歴史や利害の結び目にいて、なお、紋切り型でない、多くの人々に届く言葉が、どうやったら生まれるのかと思います。
父は、天皇陛下の「内言」も想像してみます。あくまで勝手な想像だけど、「内言」もあの言葉通りではないかと想像しています。身体化された言葉だから、多くの人に届く。日本には「言霊」という伝統がありますが、「言葉が身体化する」ということと繋がっている気がします。
最後、「言葉が身体化する」でググってみると、上位にこんな記事が出てきました。
ことばを身体化する。『ちはやふる』に見る才能とは何か問題 | hirakuogura.com
「ちやはふる」は君たちが熱中して読んでいますね。なら父が伝えたいことを、すでに体感しているかもしれません。まあいつもの父の戯言ですが、いつか役立つことを願っています。
* * *
最後は息切れしましたが、いつもだいたいこんな感じです。