きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

読書メモ:みんなの「わがまま」入門。

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個人レベルでのソーシャルアクションがなぜ大事かを、中高生にもわかるように教えてくれる一冊。自分への備忘とスタッフへの共有を兼ねてメモ。以下、


●=キーワード

地の文は同書からの引用

▽=僕のメモ。

 

✳︎ ✳︎ ✳︎

●「個人化」

個人化しているのにも関わらず、それでも親世代から脈々と受け継いだ「ふつう」の幻想を持ち続けている (P 35)

たとえ同じ空間、時間を過ごしていても、同じ学歴や年代や家族であっても、まったく異なる経験をしていて、まったく異なる苦しみを抱えていることは珍しくない。( P 42)
マンハイム「存在非拘束性」

どんな知識も、あくまで物事を捉える「見方」であって、どこかの立場から物を見ている以上、全てを見通すことができない(P158) 

▽いずれも「セレクションバイアス」「観測選択効果」に通じる概念。プラトンの洞窟の比喩もこれに近いような。そもそも「全体」は実在しない。

「経験運動」

もやもやについて話し合う過程が社会運動になることは、近年の社会運動論でもよく指摘されていて、理論的には「経験運動」と呼ばれることもあります。 (P 180) 

▽もやもやについて話し合うとことは、モヤモヤを言葉にする身体的な「経験」して、それがアクション、つまり「運動」に結びつく。

 

●「資源動員論」

それまでは、怒りや感情が人々を社会運動へと押し進めるのだと言われてきた。しかし、資源動員論を唱えている人たちはどちらかといえばクールで、「お金とか時間、そういう資源を持っている人が参加するに決まってるやん」と言います。 (P251) 

よそ者は、 少なくとも彼らに比べればずっとお金や体力という資源を持っている。だから社会運動に参加して、自分のことではない問題を世に訴えることができるとも言えるのではないでしょうか。(P253)

▽資源のある「よそ者」が参加することで、状況が動いていく。状況は当事者だけでは動かせない。海外の子どもの問題に寄付が集まるのは、こういうことなのかもしれない。


(この本を書いた動機として、今の若い人々が)議論の中で感じたことは、彼らがいかに周囲に配慮し、空気を壊さないように生きているかということだ。(P267)

▽息苦しい。もう少し楽にできればと思う。先に生まれた者としては。

 

みんながもっとあいまいな世界に生きている、だから自分もそうしていいんだと考えれば少しは楽になるんじゃないかな、と思います。 (P 222) 

そもそも、私たちの人生ってコロコロ変わります。(P254)

▽変わりますよね。こういう物言いにホッとします。

 

通勤路のジャスミン・ウォール。

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