この数年、毎朝ほぼ同じものを食べます。自分に最適化したサンドウイッチです。
8枚切りの食パンをスライスチーズを乗せてトーストします。焼けたらマヨネーズ少々、ロースハム一枚、茹で玉子スライス2切れ、厚切りトマト1-2切れ、マスタードを1行塗り、半分に折ります。濃いめのブラックコーヒーも淹れます。
トマトがないときかはキュウリやレタス、ハムがないときはベーコンを代用します。時にお弁当の残りの肉団子でテリヤキ風にしたり。
何年も続けていると、買い物に行った家人は、無言のうちに材料を補充してくれるようになりました。
毎朝食べているけど、家人たちは特に関心がない。この感じが大事です。我が家の中学男子とふたりだけの朝食の時、こういいました。
「このサンドウイッチに名前がないので、今、父が名付けることにした。バンクーバー・サンドウイッチ。父が死んだら、思い出してね」
「バンクーバー」に理由はなく、思いつきです。後から「バンクーバーって確かこのへんだよね」と確かめた場所は、アンカレッジでした。
英語の綴りも知らないので、確かめました。
Vancouver Sandwich
字面がいいので、ゴシックフォントで画像にしてみました。↓
僕が死んだら、「そういえばVancouver Sandwichとかいうのを毎朝たべてるとか言ってたな」と思い出してみてください。作ってみて食べてくれたら、さらに嬉しいです。
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この習慣が始まったのは、下の子が高学年になったくらい。子どもたちが「ケアされる人」から卒業して、各自が自分で自分の朝食を用意するようになりました。「個食」というより「自立の第一歩目」です。その日冷蔵庫にあるもので、各自、自分の朝ごはんを整える。僕の場合はバンクーバー・サンドウィッチVancouver Sandwich。子どもたちと妻は、それぞれに個性があります。
有限な時間の中で、朝、誰と一緒に何を食べるのか。僕がいなくなった世界で、誰かとバンクーバー・サンドウィッチVancouver Sandwichを食べてくれる人がいたら、やっぱり嬉しいです。