メッセージには「メッセージの内容」と「私はそのメッセージを発する人である」というメッセージがかあって、後者を「メタメッセージ」といいます。
朝、家人に「おはよう」といいます。メタメッセージとしてはこんな内容が含まれています。
・「おはよう」とあいさつする人がいる。
・「おはよう」という日本語を使うから、ほぼ間違いなく日本人。
・「おはよう」というと「おはよう」と返してきてくれたから、相手は生きている。
・私には「おはよう」といえる人が近くにいる。これは幸せなことである。
グレゴリー・ベイトソンという学者が発見した考え方です。僕はポジティブに説明しましたが、発見したのは精神病棟だそうです。
親が子に、
①「私はあなたを愛している」といいながら
② 実際は暴力を振るう
など、「メッセージ」と「メタメッセージ」が矛盾してる状況のことを、ベイトソンは「ダブルバインド」と名付けました。「ダブルバインド」が続くと、人は自分も他人も信じられなり、統合失調症にもなります。
この理論、エビデンス的には?だそうですが、説得力あります。
物事には、見えるものと見えないもの、2層あると理解できます。最近はTwitterなんかでも「メタレベル」「メタ認知」など「メタ」を見かけるし、Facebook社は社名にしました。
きずなメール事業でも「メタレベル」という語を使います。コミュニケーション設計の事業だから。今風にいうと「コミュニケーション・デザイン」。デザインは「設計」という意味。「メタレベルで何を目指すか」が仕事の価値を決めて行きます。
普通レベルにメタレベルがあるということは、メタメタレベルがあるということ。メタメタレベルがあるということは…哲学用語でいう「無限後退」ですね。どこまで後退すればいいか、いつも悩みます。
かかと。