きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

読書メモ:国道16号線: 「日本」を創った道

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国道16号線―「日本」を創った道―

国道16号線―「日本」を創った道―

 

学生の頃、八王子に住んでいました。愛車スーパーカブで毎日、甲州街道にあるユーミンの実家、「荒井呉服店」の前を通り、左折して国道16号線に入り、大学のある「鑓水」(やりみず)まで一直線。ある時、大学正門の前でコケて右足を骨折し、後遺症が今もほんの少しあります。

 

同書の目次から興味深い部分だけ抜き出してみました。

地価高騰はクレヨンしんちゃん一家を呼び寄せた
クレイジーケンバンドと横須賀トンネルの秘密
矢沢永吉ユーミンルート16
ユーミンの16号線と六本木を音楽で結んだ
モスラが伝える日本近代と解雇の関係
用心棒のピストルはピートと交換
モスラの繭と皇后の眉が似ている理由
ポケモンを生んだ町田のカブトムシとインベーダー

 

関東地方で、先史時代は貝塚があり、戦国時代には城があり、戦後のニュータウンがある場所、「人が住みやすい場所」が連なったのが国道16号です。

 

その「人が住みやすい場所」とは「小流域」。「山と谷と湿原と水辺」がセットになった地形。 小高いので洪水はしのげて、降りていったら川があるので飲み水はある、森や湿原のおかげで狩猟採集には困らない、多少開けた場所で畑くらいはできる。

国道16号線は「小流域」地形が数珠つなぎになった道路なのです。

パソコンで記号を打つ仕事ばかりしていると忘れそうになりますが、同書は、僕らに物理的な身体があって、空間の中で生活していることを思い出させてくれます。コロナ禍で人と会う回数が減った今、余計に思い出させてくれます。

戦前の主力輸出品「生糸」は、八王子の養蚕で作られて、横浜港から輸出されました。八王子から横浜港への道は「シルクロード」と呼ばれ、羽振りの良さで鳴らした「鑓水商人」が活躍したそうです。

 

そして今、「鑓水 シルクロード」で検索すると、上位で出てくるのは「特養老人ホーム シルクロード鑓水」。歴史オタクの僕には、たまらない話。

ポケモンユーミンの音楽が生まれたのは、「小流域」地形のおかげ。

同書のあとがきが印象的でした。

取材に一番付き合ってもらったのは、妻と娘である。普段は渋滞の16号線が空くのが正月三が日である。正月の16号線を半周して車中から延々写真撮影を行い16号線沿いの遊園地の観覧車に乗る、ニコラのピザを食べるなどの取材に協力してもらった。感謝いたします。(P219 ) 

僕も、僕を国道16号に導いてくれた何某かに、感謝いたします。

 

 

 

カミングアウト問題としての「先にいる人/後から来た人」

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カミングアウト問題

僕はかつて、外国人登録証を持つ立場にありました。若い頃は、これを「隠している」と思われるのが嫌で、知り合った人には必ずそういう立場であることを伝えていました。だから知らない人はいませんでした。

でもある時、伝えることで人を試しているような自分に気づいてからは、ことさら言うのはやめました。ただひとつだけ、疑問が残りました。 

自分から言わなければ、なぜ「隠している」ことになるのか。なぜ僕には、「言うか言わないか」の2択しかなかったのか。カミングアウト問題です。

 

糸井重里さんの「今日のダーリン」 

ヒントを与えてくれたのは、「ほぼ日」糸井重里さんの「今日のダーリン」でした。

後から参入する者に、場所なんか空いてないのだ。
空いているとしても、最悪の場所だけだ。

(2013年10月10日「今日のダーリン」より)

僕は「後から参入する者」=「後から来た人」だったのです。

人は未知のものに、興味と恐怖を同時に感じます。「先にいる人」から見た「後から来た人」は、敵か味方か? 敵だと思われたら入れてもらえないし、最悪攻撃されます。

 

だから、「後から来た人」は自ら「怪しいものではありません」とアナウンスしていく必要があります。


カミングアウトは、マイノリティ(少数派)である「後から来た人」から、マジョリティ(多数は)である「先にいる人」に対してのみ必要になります。だから僕には「言うか言わないか」の2択しかなかったのです。

 

「最悪の場所」から与えられる

カミングアウトが受け入れられれば、「最悪の場所」から与えられます。「普通の場所」や「最高の場所」には、先に誰かがいるからです。その「先にいる人」も、かつては「後から来た人」だったはずです。

以来、あらゆる問題が、僕には「先にいる人/後から来た人」という、時間と空間の問題として感じられるようになりました。時間と空間の変化が折り重なって、世界ができているイメージです。

 

互いに少しずつ差し出す

そして、それぞれに役割があると考えるようになりました。

「後から来た人」は大抵の場合、新しさをもたらします。「先にいる人」はそれを受け入れることで、共同体の停滞を防ぎ、リフレッシュできます。


「後から来た人」がいられない共同体は、衰退します。目の前の無数の実例があります。


ならば「後から来た人」は、「私はこういう者です」と自ら名乗っていく。「先にいる人」は「お疲れ様。まあお茶でも一杯」の気持ちで受け止める。そんなところから始めて、なんとなく、互いに少しずつ差し出すような感じで進んでいくのがよいのではないかと。

 

限られた社会資源を奪い合うのではなく、増やせるような関係性をいかに結んでいくか。ゼロサムではなくプラスサムの関係を構築していくか。

この最初の出会いは、非暴力的で、それなりに礼儀正しいものであるはずです。

 

「きずなメール やさしい日本語版」のスピリット

先日、団体で挑戦した「きずなメール やさしい日本語版」のクラウドファンディングも、日本に「先にいる人」である僕らが、「後から来た人」たちをどう受け入れるか、という問題とつながっています。

 

今や「先にいる人」になりつつある僕は、まずこちらから「お疲れ様。まあお茶でも一杯」と伝えるところから始めたい。かつて極東の島国が、半島からやってきた僕の祖父母にそうしてくれたように。

"孤育て予防"でも、寄付を募ることができた!

団体設立10年の節目に挑戦した「やさしい日本語版きずなメール」のクラウドファンディングは、無事目標金額を達成することができました!

readyfor.jp

ご支援くださった方々はもとより、支えて下さったステークホルダーの皆様、Readyforのキュレーター、こどもギフトのインフルエンサーの方々、本プロジェクトのメンバーに、改めてお礼申し上げます。

 

ありがとうございました!

 

何より嬉しかったのは、

 

「"孤育て予防"でも、寄付を募ることができた」

 

ことです。

 

「寄付」による支援性資金調達は何にしても大変ですが、「きずなメール」は目に見える「場」がない、効果を実感しにくい「予防」、社会的マイノリティである「在住外国人の支援」という要素が重なる中、どこまでやれるか不安でした。

 

でも目標を達成できた。

 

「情報の隣人性」「テキストメッセージング」「弱いきずな」「ゆるやかにつながり続ける」などのわかりやすくない言葉遣いも、どこまで届くか半信半疑でしたが、受け止めてくれた方が何人も現れた。

 

ここまで、地味にコツコツいろんなことを積み上げてきた、ときに迷える僕を「大丈夫ですよ!」と支えてくれたスタッフのお陰です。この場で改めて、お礼をいいたいです。

 

ありがとう!

皆でここまで来れたのが、嬉しかったです!

 

last isuue だと思っている「エンドユーザーには無名、事業者には超有名」という矛盾に見える isuue でも理解を得られるかもしれない、との手応えも得られました。

 

いよいよこれに挑戦していきたいと思います。

 

荒川の夕暮れ。

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新しい仕事を創り出し、後から生まれた人たちに受け渡して行く。

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団体の公式キャラクター「大丈夫3兄弟」と初日の出


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!

団体設立10周年を機に、これからの20年後の世界と日本と団体とVisionについて考えています。すると、「きずなメール」が広がるとともに、「新しい仕事の形として一般化し定着する」というイメージが出てきます。

 

僕らは食べるために農耕を始めたと習いましたが、近年は、狩猟のうほうが効率よくカロリーを得られたという研究結果があります。食料難で戦争が起こったことはないという歴史の見方も出てきています。「食べるために仕事をする」ことに疑問符がついています。

 

僕らが「仕事」と呼んでいるものは、実際に何が行われているかは、よくわかりません。経済の仕組みの中で、書類やコンピュータの「0」のケタが増えると、カロリーが得られる。「事業規模」「受益者数」という「数字」を目標にして、「やり甲斐」「達成感」などの「感情」がやり取りされる。今生産されているものの多くは、無いと不便極まりないですが、無くてもどうにか生きていけるものばかりです。

 

だとしても、仕事を通して何かになりたい、何かをやりたい、満足したい、充実したいという想いがなくなることはない。仕事をしたい人が減ることはありません。

 

仕事は、それ自体を創り出し、残していくことだけに収斂していくのではないでしょうか。しかもこれは、新しいことではなく、過去に多くの人々がやってきたことで、同じことを、今僕らもやっている感触があります。

 

設立時からの長期目標のひとつが

 

・「きずなメール」のような取り組みが、一般化すること/標準化すること。

 

これができれば、雇用創出につながると思っています。

 

新しい仕事を創り出し、後から生まれた人たちに受け渡して行く。

 

僕らにこれができるかどうかはわかりませんが、できないと思ったら実現する可能性はゼロですし、そもそも「できない」と判断する合理的理由も見当たりません。

 

ということで、目指す形を実現するため積み重ねていきますので、今年もよろしくお願いします!


追伸
2017年頃にも似たようなことを書いていました。

ameblo.jp

あまり進歩していないのかも…汗

 

(https://note.com/yukkiestar/n/nadfa405891dd  より転載)

「子どもの最善の利益」に国連の執念を見たような気がした話。

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国連「子どもの権利委員会・一般的意見14号:自己の最善の利益を第一次的に考慮される子どもの権利(第3条第1項)」の日本語訳をダウンロードしたら、20ページもあった。

「子どもの権利」というと、「子どもが好き勝手やるの?」的なイメージの人は少なくないようです。かつては僕もそうでしたが、中身を知ると、むしろ大人も楽になる考え方だとわかりました。

 

このようなわけで僕は、「子どもの権利条約」について学ぶ機会には積極的です。先日も「子どもの権利条約 基礎講座」に参加して、むちゃくちゃ面白かったので、そのなかから2つだけ共有します。 


①「条約」は「憲法」より下だけど「法律」より上。

つまりこうです↓。

日本国憲法」>「子どもの権利条約」>関連する法律

にわかに信じがたいのでググると確かに、「憲法 条約 法律 優先」でGoogle先生がサジェストして来て、「つまり、憲法・条約・法律の順に優先されるということです。https://legalus.jp/others/laws_and_regulations/ed-1692と出てきます。‼‼‼‼

 

誰かが決めたわけではないけど、国際的な合意は今のところこの順番。改正児童福祉法や成育基本法の第1条に「児童の権利に関する条約に則り」と入ったのは、こういう理由もあるのかなと想像したり。

 

もうひとつ大事なこと。国とは同じではないにしても、自治体も「ローカルガバメントとして条約の実施主体」であることです。仕様書に「児童の権利に関する条約の精神に則る事業である」との一文を入れるために奮闘努力している弊団体のJKP(自治体協働パートナー)には、心強い後押し。


子どもの権利条約第3条(Convention on the Rights of the Child Article 3)「子どもの最善の利益」(the best interests of the child)

講師の荒牧重人先生は、「これを知ったときの感動は今も忘れない」とおっしゃっていました。僕も知ったときはとても驚いて、過去に2回ほどブログに書いています。

 

「子どもの権利条約」を子どもに説明しました。
「子どもの最善の利益」について

 

原文↓

Convention on the Rights of the Child Article 3

1. In all actions concerning children, whether undertaken by public or private social welfare institutions, courts of law, administrative authorities or legislative bodies, the best interests of the child shall be a primary consideration.


第3条

1 児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれかによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。

今回の講座で知ったのは、この第3条1に対して2013年、国連子どもの権利委員会が「子どもの権利委員会・一般的意見14号:自己の最善の利益を第一次的に考慮される子どもの権利(第3条第1項)」という長い名前の「見解」を出していること。日本語訳はこちらです。

 

第62会期(2013年1月14日~2月1日)

CRC/C/GC/14(2013年5月29日/原文英語〔PDF〕)

日本語訳:平野裕二〔日本語訳全文(PDF)〕

https://w.atwiki.jp/childrights/pages/236.html

 

この日本語訳をダウンロードしたら20ページもあって、ついで字数をカウントしたら2万7000字もありました。日本語の第3条1項は90字。90字を裏付けるための2万7000字です。

 

ひとまず通し読みしたら、早速こんな話が。

2.「子どもの最善の利益」の概念は新しいものではない。それどころか、この概念は条約以前から存在するものであり、1959 年の子どもの権利宣言(第2項)、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(第5条(b)および第 16 条第1項(d))、ならびに、諸地域文書ならびに多くの国内法および国際法にすでに掲げられていた。

歴史の中で淘汰されてきた、鍛え上げられたアイデアだということがわかります。

A.第3条第1項の文理分析  

 「文理分析」とは聞き慣れない言葉ですが、要は、第3条1項の(上の赤字部分)の一言一句について、「この語はこういう意味で使っています」「定義しています」といちいち説明しているのです。委員会の執念のようなものを感じます。それくらい大事な概念だとわかります。

 

多分、いい意味で本当に頭の良い人たちが、情熱を持って、蟻の這い出る隙もない鉄壁な理論武装をしたのだと思います。だとしたら、子育てや教育の拠り所として大いに信頼してよいと思います。アクションとしては、誰かの許可とお墨付きは不要で、お金を払う必要もなくて、ただ読んで納得したら、少しそうしてみるだけです。

 

* * *

  

「書き言葉」には、長い時間をかけて、理想を現実にする力があります。聖書やコーランなんかに「人を殺してはいけない」と書いてあって、それを多くの人が読むことで、「やっぱりいけないよな」と思う人が何百年もかかって少しずつ増えていって、さらにその周りの人々も「やっぱりいけないよな」と思うようになって、実際に僕らが生きている時代は、かつてより他人の暴力で亡くなる人が少ない社会になっています。

 

ならば子育てや教育の分野でも、拠り所にしていい「書き言葉」はないかと見渡すと、「子どもの権利条約」が一番フィットする気がします。

 

何しろ、「子どもの権利条約」の下地となる「人権」(この言葉も厳ついけど)思想は、文句を言う人は多いけどとても良くできているし、条約は国連に世界中の頭のいい人たちが集まって練りに練ってスキなく用意周到に作り上げられたもので、6つもの言語に翻訳されています。

 

さらにインターネットの時代は、特定の人が秘伝のように独占するのではなく、僕のような一般人も「原典」にスマホから一瞬で、無料でアクセスできます(通信量はかかるけど)。文字通り「誰にでも開かれて」います。

 

日本語訳(外務省)

「児童の権利に関する条約」全文

 

楽観しすぎかもしれないけど、この条約のことを知る人が増えることで、世界は確実に変わっていくと思うのです。実際に現在進行形で、少しずつ変わっていると思います。

 

単なる理屈だろう、と思う方もいるでしょう。でも人間は言葉を使って考えるので、最後はどうしても言葉に収斂していきます。だから「書き言葉」と、その向こうにある考え方(思想)を疎かにしないように、自分に言い聞かせる日々です。

 

秋ですね。

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「子どもの権利条約」に「愛」という言葉は1箇所だけ。

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必要があったので、改めて「子どもの権利条約」を通読しました。その備忘メモ。

 

* * *

 

・「子どもの権利条約」に「」という言葉は、前文に一箇所だけ。

(英文)
Recognizing that the child, for the full and harmonious development of his or her personality, should grow up in a family environment, in an atmosphere of happiness, love and understanding,

(和訳)
児童が、その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため、家庭環境の下で幸福、愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきであることを認め、

 

・第20条の3「イスラム法のカファーラ」。イスラム教の養子縁組の仕組みらしい。初めて知った。  

(英文)
3. Such care could include, inter alia, foster placement, kafalah of Islamic law, adoption or if necessary placement in suitable institutions for the care of children. When considering solutions, due regard shall be paid to the desirability of continuity in a child's upbringing and to the child's ethnic, religious, cultural and linguistic background.

(和訳)

3 2の監護には、特に、里親委託、イスラム法の力ファーラ、養子縁組又は必要な場合には児童の監護のための適当な施設への収容を含むことができる。解決策の検討に当たっては、児童の養育において継続性が望ましいこと並びに児童の種族的、宗教的、文化的及び言語的な背景について、十分な考慮を払うものとする。

 

・この外務省訳は、「Parents」を「父母」と訳している。

 

・第42条~第45条は「国連・子どもの権利委員委員会」(Committee on the Rights of Children 略称CRC)についての取り決め。この条文が規程する仕組みが、世界および日本の子ども虐待防止に、間接的な効力を発揮している、と個人的には考えています。

第44条 
1 締約国は、(a)当該締約国についてこの条約が効力を生ずる時から2年以内に、(b)その後は5年ごとに、この条約において認められる権利の実現のためにとった措置及びこれらの権利の享受についてもたらされた進歩に関する報告を国際連合事務総長を通じて委員会に提出することを約束する。
2 この条の規定により行われる報告には、この条約に基づく義務の履行の程度に影響を及ぼす要因及び障害が存在する場合には、これらの要因及び障害を記載する。当該報告には、また、委員会が当該国における条約の実施について包括的に理解するために十分な情報を含める。

 

・第45条 「国際連合児童基金」。ユニセフのことだった。

 

・第54条 アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語及びスペイン語をひとしく正文とするこの条約の原本は、国際連合事務総長に寄託する。

Article 54
The original of the present Convention, of which the Arabic, Chinese, English, French, Russian and Spanish texts are equally authentic, shall be deposited with the Secretary-General of the United Nations. In witness thereof the undersigned plenipotentiaries, being duly authorized thereto by their respective Governments, have signed the present Convention.

 

* * *

やはり1次情報にあたるのは大事ですね。以下出所です。

 

Convention on the Rights of the Child

www.ohchr.org
外務省が翻訳した全文

www.mofa.go.jp

PDFでダウンロードできます。

https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjcgO2G0ZLsAhWSP3AKHRu-CYUQFjACegQIARAC&url=https%3A%2F%2Fwww.unicef.or.jp%2Flibrary%2Fpdf%2Fhaku10_04.pdf&usg=AOvVaw0lwMnDRyxREmVRdI-UynSU

 

関連記事はこちら。自分でも意外なほど、書いていました。

kizunamail.hatenablog.com

「編集者」と「NPO」について。

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「大島さんは経営者ですよね」といわれると、いまだに落ち着かないです。ですが「編集者」として、団体を「編集した」感覚はあります。実際に編集者だったのは2007年までですが、未だに「自分は編集者」という気持ちがあります。

 

この記事の目的は2つ。

・僕より後から生まれた人たちに、「編集」の面白さと可能性を伝えたい。
・今、きずなメール ・プロジェクトで働く人たちに、自分たちがどんな文脈(コンテクスト)の上にいるかを知ってもらいたい。

 

目次です。

 

  

①どういう本の編集者だったか。

「編集者」は「書籍編集者」(不定期刊行)と「雑誌編集者」(定期刊行)に大別できます(僕が現役だった頃は)。僕は「雑誌」の、しかも「競馬専門の月刊誌」という超ニッチな媒体の編集者として、30代を過ごしました(いわゆる「競馬新聞」とは異なります)。

 

媒体の名前は「競馬最強の法則」です。

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1991年創刊→2019年休刊。28年続いた。

競馬最強の法則 - Wikipedia 

この本のMissionは、「競馬で儲ける方法(「馬券術」といいます)」を紹介すること。だから編集者は毎週(競馬の開催は基本土日)、競馬をやります。自分のお金で。

 

業務命令ではなく、そうするのです。編集部には、「自分の身銭で試した馬券術を企画にするのが、この編集部の編集者」という無言の圧力がありました。今風にいうと、ユーザーファーストを貫くため、「当事者」あることに重きを置いていたのです。

 

例えば、自分で1万円投資して10万円になった馬券術を記事にするので、迫力が出ます。おかげで同誌は、「競馬月刊誌」というニッチな市場でトップリーダーでした。僕もそのことを誇りに感じるとともに、鼻にも掛けていた恥ずかしい過去でもあります。

 

週末に自分のお金でギャンブルをやることが「仕事」など、今なら確実に問題アリですが、僕は水が合ったようで、本当に毎週競馬ばかりしていました。

 

②「編集」とは?

僕はこの編集部で、「編集」の多くのことを学びました。「編集」の定義は人により様々ですが、僕とっては、「締め切りまでに、とにかく形にする」ことです。

 

何かを作るとき、ベストの条件や環境がそろうことはありません。必ず制約条件があります。予算と締め切りがその代表。手持ちの材料で締め切りまでに、いかに面白いものを作るか。

 

後にこの考え方は、文化人類学でいう「ブリコラージュ」(寄せ集めて自分で作る)に近いものだと知りました。

 

ヒット企画(記事)が生まれるプロセスは、不合理で不条理です。丁寧に仕込めばよい企画になるのは確かですが、時間かけて準備したけどまったく響かないとか、苦し紛れに3分で考えたような企画が売れたり、つまらなそうな企画が編集長がキャッチコピーを変えるだけで大化けしたり。謎に満ちています。

 

「面白いものは、制約の中で生まれてくる」ことを体感する日々でした。

 

③編集したら「きずなメール ・プロジェクト」になった。

起業を考えた2010年時の手持ちの材料は、妻が書いてくれた「胎児の成長を毎日紹介した原稿」のみ。予算ゼロ。締め切りは「貯金が尽きるまで」。


編集者は、「切り口」という考え方をします。同じトマトでも、タテに切るかヨコに切るかで見え方が変わります。僕は妻の妊娠を知ったとき、いつもの見慣れた風景の、見え方が変わりました。親という「切り口」に、突然晒されたからです。

 

晒されてすぐに、親は子育ての「当事者」だと気付きました。「当事者」として「編集」することに、多少の慣れはあります。

 

次に探したのが、僕ら家族も含めた”社会全体”に役立つ「切り口」。そして出会ったのが↓この本の中の「社会起業」と「NPO」でした。

 

「胎児の成長を毎日紹介した原稿」「子育ての当事者」「社会起業」「NPO」を編集したら、「NPO法人きずなメール ・プロジェクト」になった、という感じです。

 

④「編集」は「プラスサム」

この10年で、「編集者」も「編集」も大きく変わりました。


note の加藤貞顕さん。コルクの佐渡島庸平さん、wordsの竹村俊助さん。僕より後に生まれた方々が、10年前には想像もつかなかった形で、webを軸にしながら、それぞれに凄い仕事をしておられる。圧倒されるばかりです。

 

僕はベストセラーを出した経験もない、そもそも業界の隅っこにいた、今や年齢的にも微妙な「おじさん編集者」ですが、それでも「自分は編集者」という気持ちはなくならない。


ここまで書いて、今頃になって、ようやく、自分が伝えたいことが見えてきました。

 

ゲーム理論に「ゼロサム」「プラスサム」という考え方があります。誰かかが勝つと、誰かが負けるのが「ゼロサム」、両方勝つのが「プラスサム」。

 

「編集」では「プラスサム」が高確率で起こるのです。切り口を変えるだけで、奪い合う関係が、与えあう関係に変わることがある。これはとても面白いし、神秘です。イノベーションって、こういうことかと思います。

 

もうひとつ。悩んでいることがあってそれをどうにかしたい方は、自分でこっそり「編集者」になったことにして(笑)、その悩みをいろんな「切り口」で切ってみてください。欠乏感や不全感は、それ自体が「企画」になります。ひとりの人間の悩みごとは、社会全体、世界全体とつながっています。きずなメール ・プロジェクトが続いている限り、これは確信を持って言えます。

 

こんな感じで、少しでも役に立てれば幸いです。