きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

きずなメールと現代美術

テーマが「ヘルスケアとアート」の学術集会に提出する抄録の中で、下記のように書きました。

(きずなメール事業は)現代美術のインスタレーションの手法を援用した事業である。インスタレーションとは、室内や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体を作品として体験させるアートである。「きずなメール事業」は、市民(乳幼児の養育者)と自治体の間にテキストコンテンツを対置して関係性を変化・異化させることよる社会的価値の創出を目指している。

初めて言語化して、喉のつっかえが取れました。

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起業する前に拠り所にした本は2冊あります。こちら↓はブログや事業説明でもよく紹介しています。

こちら↓は初めて紹介します。

僕は大学で「芸術学科」というところにいました。そこはバブル期に、日本にマルセル・デュシャンを紹介した専門家が作った学科で、現代美術「もの派」の拠点でした。

デュシャンは現代美術の伝説的な作家です。バンクシーの先駆け的な存在といえばいいでしょうか。どちらも作品に、「価値とは何か」という問いが含まれています。

「芸術起業論」も、著者が「価値とは何か」という問いに挑戦した本です。単身で西洋現代美術マーケットに乗り込み、これを構成する人のネットワークや振る舞い方を研究します。人類学のフィールドワークであり、ビジネスマーケティングそのものです。著者は研究したことを実践して、海外で成功を収めます。「研究したことを実践して成功した」と簡単に書きましたが、大変なことです。研究する人が一万人いたとしたら、それを形にして論文や本にできる人100人、実際にやって実現できる人は1人くらいだと思うので。この本を参考して僕も同じことをやってきたつもりですが、まだ研究する人一万人の中にいます。ははは。

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著者のことは、この本以上のことは知りません。デュシャンも、この↓本をときどき読み返すくらいです。

デュシャンはある時突然、作品を作るのをやめて、ニューヨークでカフェのボーイになります。生活者になったのです。この本は、生活者になってからのインタビュー集。次の言葉が印象深いです。

「私が理解した限りでは、すべてはトートロジー、つまり前提の反復なのです。」

話を戻します。きずなメール事業の根っこにあるのは、「価値とは何か」という、すべてのビジネスやアートに共通する問いです。人を結びつけるのは、「答え」ではなく「問い」ではないでしょうか。この「問い」にチーム一丸となって答えていきたい、と心新たにする夏休み前です。

枝の上にカワウ(鵜飼の鵜)。見えますか?

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敬意ではなく、リスペクト。

使い慣れていない「話し言葉」って、なんとなくわかりませんか? 「話し言葉」には、使い慣れている身体感覚が表れると感じています。多分どこかで研究されていると思いますが、寡聞にして知らず。

先日、短歌の歌会で、御年70オーバーであろう女性が、僕になじみのあるリズム感、スピード感で「リスペクトを込めていいますと…」と言っておられたのが衝撃的でした。「尊敬」や「敬意」でもよかったのに「リスペクト」。

「リスペクト」は、僕が知る限り、アメリカのストリートカルチャーから来た言葉です。「尊敬」「敬意」だと固すぎる、「尊重」だけでもない、中間くらいのニュアンス。

二周りくらい年上の方が、従来の日本語だと伝えきれないニュアンスや感覚を伝えるために、日本語以外の言葉を持ってきた。短歌の歌会で。僕の誤解や思い込みの可能性もありますが(かなり)、印象深かったので、書いて残しておきます。

茹でた骨付き羊。

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「孤独」と「孤立」の違いとは。

スタッフのブログ(「本人も自覚しきれていない孤独」をキャッチする)が教えてくれました。

www.kizunamail.com

「孤独」は、それを感じる主観的な「感情」のこと。
「孤立」は、客観的に見て他者とのつながりが少ない「状態」のこと。

誤解を恐れずにいうと、「私は孤独だ」と考える人は、その孤独を改善できる可能性があります。孤独は辛いですがそれでも、自分の状況や感情を言葉で捉える冷静さが残されているからです。

一方、孤立した状態でありながら、そういう自分に気づけない人もいます。それで大丈夫な人もいれば、ゆとりをなくす人もいる。いや「ゆとりをなくす人もいる」というより、誰にでも「ゆとりをなくす時期もある」でしょうか。僕自身にもありましたから。

きずなメール事業は、より多くの人とつながり続けることで「孤立した状態でありながら、そういう自分に気づけない人」とつながりつづけることで、ときに安心を届けたり、人や地域につなげたりするのが仕事だと、改めて思いました。テキストにそんな仕事ができるのか?というと、「できる」と断言はできませんが、「できない」と断言することもできません。「よかった」「安心できた」という読者のメッセージが今も届くからです。

大事なことなので、備忘としてブロクにも書いておきました。

富士山。見えますか?

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日本で最初のコレクティブハウス、「CHかんかん森」20周年記念イベントに参加しました!

「コレクティブハウス」とは「共同居住型集合住宅。私生活の空間とは別に共用空間があり、生活の一部を居住者が協力して営む形態の住宅」(広辞苑)。建築の教科書にも掲載されています。

シェアハウスと比較するとこんな感じです。

 

先週、日本のコレクティブハウス第一号「コレクティブハウスかんかん森」の20周年記念イベントに行ってきました。我が家は、「かんかん森」の次にできたコレクティブハウス「スガモフラット」に8年住んでいて、そのご縁での参加です。90人(?)くらいの人で大盛況でした!以下Photo ダイジェスト。

オープニング。

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コモンキッチンで準備中。

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乾杯!のシャンペン。
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じゃがいもとビーツのビシソワーズ(冷製スープ)!
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居住者、元居住者で話も盛り上がる!
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盛り上がる!
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これを日本に最初に作って、東日本大震災もコロナも乗り越え、新しい命も生まれている「かんかん森」の皆さんに、改めて心からエールと共感を送ります!

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僕がコレクティブハウスに関わる理由は二つあります。

①コレクティブハウス「スガモフラット」住んで、助けられた。

僕ら夫婦は、起業と幼児の子育てが重なって、追い詰められていた時期がありました。追い詰められている時って、「追い詰められていることを自覚するゆとり」もありません。それでも無意識のうちの解決策を探していて、偶然コレクティブハウスに出会って、保育園の空きがすぐに見つかるなどの幸運もあって、入居しました。

住んでみたら、子どもが親以外の大人と触れる機会が多いし、月の半分はコモンミールなので楽だし、適度な距離感で大人同士の付き合いもある。ご近所さん(同じコレクティブハウスの居住者)にとても助けてもらったし、楽しかった。その縁で、スガモフラットを支援しているNPOコレクティブハウジング社の理事を拝命して現在にいたります。

「スガモフラット」は、「かんかん森」への挑戦があってできたものなので、「かんかん森」を日本に初めて作った人たちの勇気と志には、リスペクトあるのみです!

 

②「社会的孤立解消」の解答のひとつである。

何十年も前から「社会的孤立が増える」と予測されて、そうなっています。これを解消する取り組みもさまざまですが、コレクティブハウスは、力強い解答のひとつです。

「孤立解消」どころか、かんかん森もスガモフラットも、ついでにCH聖蹟も、赤ちゃんが産まれています。社会科学的には「再生産する」=「人口が増える」コミュニティの実例です。このあたりは、識者の方が説明が説明してくださっていますので、ご参考に。

diamond.jp

それでも増えないのはなぜ?

日本の住宅政策とカルチャーです。

住宅ローンと企業のメンバーシップ型雇用の組み合わせの社会設計は盤石です。住宅ローンで家を買ったら、コレクティブハウス的な暮らしがよさそうだと思い始めても、視界には入れにくいでしょう。

家父長制の意識も男女問わず根強い。夫も妻も子どもも「生きる一人の主体」としてコミュニティを作っていくコレクティブハウスの考え方は、最近も「男性の育休取得」でようやく1ミリ前進したくらい。まだまたこれからです。

とはいえ、若い世代は、親の世代を見ています。だから、コレクティブハウスそれ自体ではなくても、「コレクティブハウスに通じる暮らし方」に魅力と必要を感じる人はますます増えるのではないでしょうか。

「他人に干渉されず、他人と交わって暮らす」(須田春海)という幸せの定義を体現する「コレクティブハウス」。個人的には、前期高齢者くらいになったらもう一度住めるよう、コレクティブハウスを「新たに作る」方の取り組みに、さらに重心を移していきたいと思います!

 

公的な情報を届けるための最大公約数を考えると「メール」が残る。メールは「基礎メディア」。

自治体等の公共機関が「住民全体に正確な情報を届けたい」とき、費用や手間から「ワンストップ」「一元化」したい気持ちはわかります。ですが当の地域住民が情報を得る方法は千差万別。年配の方にはいまでも「紙」が届きやすい一方で、若い世代はInstagramTikTokしか見ない人もいたり。

こんなとき、冷静に、5歩くらい引いて、「最大公約数の届け方は?」という問を立てると、「メール」という答えがでてきます。子育て世代を視界に入れた場合は、特に。「今さらメール?」といいたい気持ちもわかります。僕自身、ためらいがあります。でも、現実に目を向けると、「メールは基礎メディアになっている」という結論になります。そのファクト(事実)について述べてみます。

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①コロナ禍による「google for education」(G Suite for Education)の普及

グーグルが学校向けに新機能 採用自治体は半数以上に
(教育新聞編集部 2021年2月18日)
https://www.kyobun.co.jp/news/20210218_05/

コロナ禍でオンライン授業が必要になったとき、日本の教育システム会社ではなく、「google education」が爆発的に広がりました。同記事によると「採用自治体は半数以上」とのこと。

使うには「アカウント登録」が必要で、その際「@gmail.com」ではないにしても、なんらかのメールアドレスを持つことになります。

我が家の小学生、中学生の学校もgoogle for educationeducation になり、教育委員会からChromebookタブレットが配られ、今では身体の一部のように操っています。メールを頻用はしませんが、普通に使っています。

Androidスマホの普及率

日本におけるモバイル端末の主要OSとその割合を調べたところ「iOS」は67.11%(+1.5%)、「Android」は32.76%(-1.5%)だった。一方、世界のOSシェアトップはAndroidで72.37%(+0.71%)、iOSは26.98%(-0.63%)という結果に。

(MarkeZine ニュース 2023/02/09 18:30)

https://markezine.jp/article/detail/41274

Android スマホを使うとき、意図的に避けるのでない限り、Googleアカウントをつくることになります。Googleアカウント=gmail アカウント。同記事によると、日本のAndroidスマホの普及率は約3割。理論的には「日本でスマホを持っている人の3割はgmail アカウントをもっている」ということになります。

③個人認証は「SMS認証」「メール認証」

個人情報への意識が高まるとともに、「その人が、当の本人であることを確かめる必要」も増えています。確かめる方法のトップが「SMS認証」(携帯電話番号での認証)で、その次が「メール認証」。これは皆さん、生活レベルで実感があるのではないでしょうか。

④メールは今や、郵便に次ぐ「公的な連絡手段」

公的な連絡手段は今でも「郵便」、つまり「紙」です。その次は「メール」なってきている実感はないでしょうか。

ビジネスではある意味「メール」がかなり公的な連絡の役割を果たしています。コロナワクチンの予約は「メール」でした。厚労省の「アプリ」はほとんど使われずに終わってしまったのに。

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こんな感じで、みんなが使っているメディアやデバイスの「カバー率」「最大公約数」を考えると「メール」が残っていきます。さらに「メール」は、コモディティ化によりコストが劇的に下がっている、発信も受信も0円に近いので、結果として「費用対効果が高い」ということになります。

きずなメールは「テキストメッセージによるセーフティネット」なので、テキストで送れるなら、LINE、メール、アプリ等「媒体」は問いません。僕らも「メールは古い」という空気に押されてここ数年は「LINE推し」でしたが、「メールはあったほうがいい」という声もあって、メール配信を残している自治体があります。

結論。自治体が「地域住民に全体に正確な情報を届けたい」と考えるなら、「LINEかメールか」ではなく「LINEとメール」から考えることが出発点になります。「多くの人がすでにつかっているものを上から順にカバーしていく」と考えた場合、そこには「メール」が必ず含まれるからです。団体として、この現実にしっかり目を向けていきたいと思います。

 

 

 

「親以外の大人の存在」は子どもにとっての【保護因子】

NHKクローズアップ現代」が『その「一言」が将来を変える!?最新研究・言葉のリスクと可能性』というテーマで、大人の言葉が子どもを追いつめるリスクについて取り上げていました。

“親からの言葉の暴力”影響は たたかない・どならない子育て - NHK クローズアップ現代 全記録

その中で、「今の社会は子どもにとっての【保護因子】が減っている」と指摘していて、画面↓に「親以外の大人の存在」というワードがありました。

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「親以外の大人の存在」って子どもにとっての【保護因子】なんですね。

一昨日のblogで引用した親族の基本構造 - 内田樹の研究室が指摘している「父方の伯叔母と姪」も「親以外の大人」です。

親以外の大人が生活レベルで登場しにくい「核家族」って、構造的な難しさを含んでいるだなあと、改めて感じました。8年住んだコレクティブハウスから引っ越した我が家も、今は核家族ですが。

初めてのJリーグ

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99%の男には生物学的には価値がない/レヴィ・ストロース『親族の基本構造』

56歳の僕より、ふた周り近く年下のスタッフがオンライン・ミーティングの近況共有で

レヴィ・ストロース『悲しき熱帯』の読書会に参加しました」

と話してくれて、嬉しくなって、

レヴィ・ストロースの『親族の基本構造』って、僕がきずなメール・プロジェクトをやろうと思ったきっかけのひとつです」

と応じたので、書きます。

2007年当時、この↓ブログを読んで衝撃を受けました。

blog.tatsuru.com

インパクト・ポイントは二つ。引用します。

①男それ自体には交換物としての価値がないからである。
男は再生産しない。
再生産のためには女100人あたり、男一人いれば十分である。
99%の男には生物学的には価値がない。
無価値なものをもらっても、反対給付の義務は動機づけられない。
それでは親族は形成されない。
父権制というのはフェミニストたちが正しく指摘するように男に「不当に高い価値を賦与するシステム」のことであるが、どうして男に「不当に高い価値を賦与する」のか、その理由は論理的に考えればすぐにわかる通り、男には価値がないからである。

言い過ぎな感はありますが、概ね同意します。妊娠した妻のお腹が大きくなるのを見て「自分も産んでみたい」と思ったのは、これだと理解しました。

②成熟というのは簡単に言えば「自分がその問題の解き方を習っていない問題を解く能力」を身に付けることである。
成人の条件というのは「どうふるまってよいかわからないときに、どうふるまうかを知っている」ということである。

56歳の今でも、どうふるまうか知りません。でも「どうにか形をつけてやってきた」感はあり、まあそれをさしているのかなあと。

白詰草

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