(会でのディスカッション風景)
「申請主義」とは、行政や福祉の支援やサービスを受ける際、「申請」を前提とすること。このプロセスが過度に複雑になると、本来、支援・サービスが必要な人が受けられず、日本国憲法25条で保障されている生存権を脅かされるケースがあります。
その「申請主義」について考える「ポスト申請主義を考える会」。セミクローズでのディスカッションのフェーズから、具体的なアクションに移行するフェーズとなっています。
まずホームページとFacebookページができて、公開されました。(ボードメンバーのお二人に感謝)
HP
Facebookページ
さらに素晴らしいタイミングで、ボードメンバー・OVA伊藤さんのオピニオンが朝日新聞に。
(記事は有料なので、実際の新聞の一部を撮影)
記事↓
(耕論)困りごと、手続きの壁 赤石千衣子さん、鵜沼憲晴さん、伊藤次郎さん:朝日新聞デジタル
この新聞記事にもキーワードとして登場している「デフォルト申請」が、先日のディスカッションでも中心議題でした。
この場合の「デフォルト」とは行動経済学の考え方のひとつで、「予めセットしてある初期設定」のこと。パソコンを買うとすでにアプリ一式が入っていて、問題なければそのまま使うし、嫌なら変更したり削除したりできることを指します。
「嫌ならいつでも拒否できる」という点がポイントです。定食として出されるけど、「嫌いなものは無理して食べなくてもいいよね」という感じでしょうか。
この考え方のベースにあるのが「リバタリアン・パターナリズム」。「リバタリアン=完全自由主義者」と「パターナリズム=父権的強制主義」という、反対の意味の語を組み合わせた造語で、「最初にある程度強制するけど拒否する自由もある」ことを意味します。
アメリカでは年金申請などに「リバタリアン・パターナリズム」の流れをくむ「デフォルト申請」が適用されているとのこと。ならば日本の「児童手当」なんかはまさに「デフォルト申請」でいいのでは…etc. 会の最新動向はHPから登録できるメルマガなどで共有されますので、よろしければご登録ください。
ところで。
「パターナリズム」は人との関係性において、それ自体が普遍的な課題。子ども虐待、最近なら教育虐待を考える上でも欠かせないファクターです。僕も過去にブログで取り上げたりしているので参考までに。