きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

「子どもの最善の利益」に国連の執念を見たような気がした話。

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国連「子どもの権利委員会・一般的意見14号:自己の最善の利益を第一次的に考慮される子どもの権利(第3条第1項)」の日本語訳をダウンロードしたら、20ページもあった。

「子どもの権利」というと、「子どもが好き勝手やるの?」的なイメージの人は少なくないようです。かつては僕もそうでしたが、中身を知ると、むしろ大人も楽になる考え方だとわかりました。

 

このようなわけで僕は、「子どもの権利条約」について学ぶ機会には積極的です。先日も「子どもの権利条約 基礎講座」に参加して、むちゃくちゃ面白かったので、そのなかから2つだけ共有します。 


①「条約」は「憲法」より下だけど「法律」より上。

つまりこうです↓。

日本国憲法」>「子どもの権利条約」>関連する法律

にわかに信じがたいのでググると確かに、「憲法 条約 法律 優先」でGoogle先生がサジェストして来て、「つまり、憲法・条約・法律の順に優先されるということです。https://legalus.jp/others/laws_and_regulations/ed-1692と出てきます。‼‼‼‼

 

誰かが決めたわけではないけど、国際的な合意は今のところこの順番。改正児童福祉法や成育基本法の第1条に「児童の権利に関する条約に則り」と入ったのは、こういう理由もあるのかなと想像したり。

 

もうひとつ大事なこと。国とは同じではないにしても、自治体も「ローカルガバメントとして条約の実施主体」であることです。仕様書に「児童の権利に関する条約の精神に則る事業である」との一文を入れるために奮闘努力している弊団体のJKP(自治体協働パートナー)には、心強い後押し。


子どもの権利条約第3条(Convention on the Rights of the Child Article 3)「子どもの最善の利益」(the best interests of the child)

講師の荒牧重人先生は、「これを知ったときの感動は今も忘れない」とおっしゃっていました。僕も知ったときはとても驚いて、過去に2回ほどブログに書いています。

 

「子どもの権利条約」を子どもに説明しました。
「子どもの最善の利益」について

 

原文↓

Convention on the Rights of the Child Article 3

1. In all actions concerning children, whether undertaken by public or private social welfare institutions, courts of law, administrative authorities or legislative bodies, the best interests of the child shall be a primary consideration.


第3条

1 児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれかによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。

今回の講座で知ったのは、この第3条1に対して2013年、国連子どもの権利委員会が「子どもの権利委員会・一般的意見14号:自己の最善の利益を第一次的に考慮される子どもの権利(第3条第1項)」という長い名前の「見解」を出していること。日本語訳はこちらです。

 

第62会期(2013年1月14日~2月1日)

CRC/C/GC/14(2013年5月29日/原文英語〔PDF〕)

日本語訳:平野裕二〔日本語訳全文(PDF)〕

https://w.atwiki.jp/childrights/pages/236.html

 

この日本語訳をダウンロードしたら20ページもあって、ついで字数をカウントしたら2万7000字もありました。日本語の第3条1項は90字。90字を裏付けるための2万7000字です。

 

ひとまず通し読みしたら、早速こんな話が。

2.「子どもの最善の利益」の概念は新しいものではない。それどころか、この概念は条約以前から存在するものであり、1959 年の子どもの権利宣言(第2項)、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(第5条(b)および第 16 条第1項(d))、ならびに、諸地域文書ならびに多くの国内法および国際法にすでに掲げられていた。

歴史の中で淘汰されてきた、鍛え上げられたアイデアだということがわかります。

A.第3条第1項の文理分析  

 「文理分析」とは聞き慣れない言葉ですが、要は、第3条1項の(上の赤字部分)の一言一句について、「この語はこういう意味で使っています」「定義しています」といちいち説明しているのです。委員会の執念のようなものを感じます。それくらい大事な概念だとわかります。

 

多分、いい意味で本当に頭の良い人たちが、情熱を持って、蟻の這い出る隙もない鉄壁な理論武装をしたのだと思います。だとしたら、子育てや教育の拠り所として大いに信頼してよいと思います。アクションとしては、誰かの許可とお墨付きは不要で、お金を払う必要もなくて、ただ読んで納得したら、少しそうしてみるだけです。

 

* * *

  

「書き言葉」には、長い時間をかけて、理想を現実にする力があります。聖書やコーランなんかに「人を殺してはいけない」と書いてあって、それを多くの人が読むことで、「やっぱりいけないよな」と思う人が何百年もかかって少しずつ増えていって、さらにその周りの人々も「やっぱりいけないよな」と思うようになって、実際に僕らが生きている時代は、かつてより他人の暴力で亡くなる人が少ない社会になっています。

 

ならば子育てや教育の分野でも、拠り所にしていい「書き言葉」はないかと見渡すと、「子どもの権利条約」が一番フィットする気がします。

 

何しろ、「子どもの権利条約」の下地となる「人権」(この言葉も厳ついけど)思想は、文句を言う人は多いけどとても良くできているし、条約は国連に世界中の頭のいい人たちが集まって練りに練ってスキなく用意周到に作り上げられたもので、6つもの言語に翻訳されています。

 

さらにインターネットの時代は、特定の人が秘伝のように独占するのではなく、僕のような一般人も「原典」にスマホから一瞬で、無料でアクセスできます(通信量はかかるけど)。文字通り「誰にでも開かれて」います。

 

日本語訳(外務省)

「児童の権利に関する条約」全文

 

楽観しすぎかもしれないけど、この条約のことを知る人が増えることで、世界は確実に変わっていくと思うのです。実際に現在進行形で、少しずつ変わっていると思います。

 

単なる理屈だろう、と思う方もいるでしょう。でも人間は言葉を使って考えるので、最後はどうしても言葉に収斂していきます。だから「書き言葉」と、その向こうにある考え方(思想)を疎かにしないように、自分に言い聞かせる日々です。

 

秋ですね。

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