きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

登園するお父さん、お産に立ち会うお父さん、抱っこヒモのお父さん

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写真は、娘と幼稚園に登園する最後の日のもの。当時の僕は会社勤めでしたが、幼稚園に3年間ほぼ毎日、一緒に登園しました。妻によると、同じクラスで父親が毎日来ていたのは僕ともう一人のお父さんだけだったそうです。

 

娘が生まれるとき、お産の瞬間には立ち会いませんでしたが、妻の「いきみ逃し」は一緒にやりました。「いきみ逃し」も、陣痛から出産まであんなに時間がかかるとも全く知りませんでしたが、気が付けば一晩中、握りこぶしを妻のお尻にあてていたのでした。真夜中、破水した羊水が僕の手にかかり「サラサラしているなー」と感じたことを覚えています。妻も僕も朦朧とする中、陣痛室の窓から朝日が指してくる、強くこぶしを握り締めた僕の指の爪は、手のひらにめり込んでいる。二人で産んだ感じでした。

 

抱っこヒモも、妻と僕で半々くらいでしょうか。まだフードカバーなんてない頃です。僕がやるときは、たいてい前向き。娘にいろんなものを見せたかったからです。

 

15年以上も前の話です。当時に比べれば、保育園や幼稚園、こども園に一緒に登園するお父さん、お産に立ち会うお父さん、抱っこヒモで赤ちゃんを連れているお父さんの姿は珍しいものではなくなりました。少なくとも、僕の住む東京では。

 

15年前とは、確実に社会は変わっています。男性の意識も変わってきています。

 

*   *   *

 

僕は「イクメン」になりたかったわけではありません。何よりも、娘との日常的な接点を持ちたかった。今もそうですが、男性は、仕事が忙しくて子どもと会えないこともあれば、育児が面倒で仕事に逃げることもあります。僕もこの両方だったので、「毎日登園」のようにルール化した役割がやりやすかった。

 

もうひとつ。妻が妊娠、つまり僕に家族が増えることをきっかけに、「家族とは何か」みたいな本を多数読みました。親になることに戸惑っていたのです。その中で最も衝撃的だったのが、杉山春さんの「ネグレクト」という本でした。

  

ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか (小学館文庫)

ネグレクト―育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか (小学館文庫)

 

 

同書は、3歳児が育児放棄ダンボールの中で餓死した事件のノンフィクションです。他にもいろいろ読んで僕は、「核家族というのは歴史的に新しい家族形態で、ふとしたことから簡単におかしくなるらしい」と理解しました。

 

現代社会では、地縁がない共働きの夫婦が、夫婦だけで子育てするのは、そもそもハードルが高いのです。それを頑張ってやろうとすると、ゆとりを失いストレスが高まり、そのストレスはときに最も弱い部分である子どもに、簡単にシワ寄せがいく。

 

もしこういうことが頻発するなら、それは社会のほうがおかしい。そのおかしな社会が変わるとしたら、僕ら一人ひとりのアクションの積み重ねがあるはずです。だとしたら、自分はどうするか。当時はここまで言語化できていませでしたが、なんとなく「自分も少しはなんかしないと」という気持ちが「毎日登園」になったのではないかと思います。

 

ちなみに、頭でっかちの僕は妻に「僕らは地縁がないから、子育てサークルとか行くといいよ」といったら聞いてくれて、近くの「ありんこ保育」という育児サークルに行ってくれました。なつかしい…。

 

今やその娘も16歳。よい変化には時間がかかるけど、社会は確実に僕らが目指す方向に変わってきていると感じます。「時間をかけた変化は、本物の変化だ」とはある教育者の言葉ですが、本当にそう思います。すぐに良くなるものは、すぐに悪くなる。

 

僕らの仕事は目の前の課題にばかり眼が向きがちですが、それ以上に、小さくてもプラスの変化を見つけて、それを喜び、力にしていきたいと思う今日この頃です。