きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

「家族、捨ててもいいですか?」読書メモ

f:id:yukkiestar:20200516111059j:image

この本を読み始めた時、「この空気感、知ってる」と感じました。 思い込みですが。

 

家族、捨ててもいいですか?~一緒に生きていく人は自分で決める

家族、捨ててもいいですか?~一緒に生きていく人は自分で決める

  • 作者:小林 エリコ
  • 発売日: 2020/05/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

こう感じたのは二度目です。最初は梁石日血と骨」を読んだ時でした。暴力が近くにある。 実際に暴力を行使されたかしたかは別として、「 他人を力で抑え込む」という行為が生活の近くにある。 そういう感じ。

 

どちらの本も、「父」がキーマンです。


著者の家族は、バラバラだそうです。僕も育った家族はバラバラなので、感情移入してしまいます。

 

著者は後半、フェミニズムに向かいます。 その姿勢にも共感します。

 

著者は、自分と家族について書くことで、 読む人に力を与えてくれます。

 

この本を読んで、自分の「芯」に、 手で触れるような体験ができました。感謝です。

 

 

 

 

大きな言葉、小さな言葉。

f:id:yukkiestar:20200430104406j:plain

大きな言葉。
人を結びつける言葉。

 

小さな言葉。
生活の言葉。

 

大きな言葉。
私たち、我々、人間とか、人類とか、社会とか、コミュニティとか。

 

小さな言葉。
僕、俺、私。

* * *

NPOの仕事をしてると、言葉が大きくなっていく自覚はあります。意図せず膨らんでいくような。

 

でも生活していると、例えば子どもたちから、父さんは、ネットでいかにもなこと書いているけど、実際はどうなのよ?的な視線を感じます。妄想ですが。

 

若い頃、大きな言葉は空疎だと感じていました。浅はかでした。今は両方必要だとわかります。

 

大きな言葉。
こうありたい社会を語る言葉。
こうありたい自分を語る言葉。

 

コロナで、誰もが社会課題の当事者になった今、小さな言葉だけでは、共同体が成り立たない。だから僕らを結びつける、大きな言葉が必要です。囚われ過ぎてもいけないけど、必要だと思うのです。例えば、

 

“共同体に貢献する”

 

とか。

 

がんばろう、俺。そしてがんばりましょー、皆さん!

 

 

「保育園に通えない子どもたち~「無園児」という闇」読書メモ

f:id:yukkiestar:20200422170804j:image

#stayhome により読書強化月間継続中。今回は「保育園に通えない子どもたち~「無園児」という闇」 (ちくま新書/2020/4/7)。副題の「無園児」とは、保育園、幼稚園に通っていない「未就園児」と、「無縁」をかけた言葉(P8)です。 

著者の可知悠子先生には、団体理事の太田寛先生のご縁で、きずなメールが自治体で実施にしているアンケート調査について相談させていただいたことがあります。専門分野は公衆衛生学。お会いしたとき、同じ研究室の江口尚先生とともに、貴重なご助言をいただきました。

 

保育園に通えない子どもたち (ちくま新書)

保育園に通えない子どもたち (ちくま新書)

  • 作者:可知 悠子
  • 発売日: 2020/04/07
  • メディア: 新書
 

同書を読むと、今の日本の子どもに関わる社会課題について、制度について、最新のエビデンスについて、網羅的に知ることができます。「子どもの貧困」「子ども虐待」などの社会課題も、「無園児」という切り口により、新しい視点を得られます。

以下、スタッフへの共有を兼ねた備忘メモ。メモは完全に個人的な視点なので、偏りもあり、本の全体像とはズレがあることお含みおき下さい。記載ルールは下記の通り。

「 」=本の抜粋
( )=僕の補足
★=僕の独り言

* * *

 

・「3歳から5歳まで合わせると、およそ9.5万人の子どもが、保育園にも幼稚園にも通っていませんでした。」(P21)
・(アメリカの経済学者であるグレッグ・ダンカンらの研究グループによると)「妊娠中から5歳までの貧困体験が、6~10歳、11~15歳までの貧困体験と比べ、成人期での収入への影響が最も大きいことが明らかになりました。」(P49)
・「幼児教育の効果を検証した研究の中でも、もっとも有名な研究は、シカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授らによる「ペリー就学前プロジェクトです。(中略)ヘックマン教授らは、貧困家庭の子どもたちのその後の社会的不利が改善されたのは、幼児教育によって、意欲、忍耐力、協調性といった「非認知能力」が改善されたからだと言います。」(P54~56)
・「日本でも、東京大学の山口慎太郎教授が、一般の保育園通いの効果を検証しています。(中略)社会的に不利な家庭では、保育園に通うことで、母親の子育てストレスやしつけの仕方が大きく改善し、子どもの多動性・攻撃性も大きく減少するという知見が得られたためです。」(P58~59)
・(認定NPO法人PIECES代表理事小澤いぶきさんインタビューより)(外国籍の子どもや家庭の話の流れで、)「情報が届かない、情報があってもその情報の言語の理解が困難であることや、サービスの窓口での手続きの煩雑さや言語の壁などが、助けを求めることへのハードルを生み出しているかもしれません。」(P88)

・「カナダのオンタリオ州に、「ファミリーリソースセンター」という子育て支援施設があります。」(P88)
★「ファミリーリソース」=「家族の資源」という視点に共感。
・「学校教育の中で、「自分を大切にすることは誰かに頼ることでもある」ことや、「子どもを育てるというのはどういうことか」、「育てるのにどんな制度があるか」などを、学んでいけることも大切なのではないかと思います。」(P92)
★自立とは依存先を増やすこと。
・「さらにメディアのあり方も変わっていく必要があるのではないかと思います。アメリカでは、アメリカの疾病予防管理センター(CDC)が、マルトリートメントが起きた時の報道についての提案をしています。アメリカのガイドラインには、マルトリートメントは公衆衛生の問題であることが書かれています。」(P92)
★マルトリートメントは、日本で言う子ども虐待のこと。日本では児童福祉の視点からしか議論されないが、「公衆衛生の問題」と捉える視点が新鮮。
・(神奈川県のNPO法人K、O理事長インタビューより。制度面で何が必要ですか、との問いに対し)「大前提として、「社会的に弱い立場に置かれがちな人のニーズを基に、社会制度を設計しなおす」ことが必要と感じます。」(P110)
・(2019年10月から始まった幼児教育・保育の無償化に対し)「私が一番気になっているのは。「誰のために無償化するか」という理念です。」(P116)
・(国会審議をビデオライブラリでチェックすると、)「二十代や三十代の若い世代が理想の子ども数を持たない最大の理由は、「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」だ、だから少子化対策として無償化が必要だ、というセリフが何度も繰り返されました。それを聞きながら、無償化で少子化が改善されるだろうかと、首をかしげました。」(P117)
・(保育士や幼稚園教諭の年収は)「責任の重い仕事をしているにもかかわらず、年収が全職種平均491万円(2017年)に比べると150万円ほど低い状況にあります。」(P118)
・「学術的には三歳児神話は根拠がないとされています。」(P121)
・「実は、市区町村ではすでに、既存の調査を通じて、無園児家庭を把握しています。」(P126)
・「希少な例として、東京都杉並区は2019年度から、無園児家庭へアウトリーチ(支援者が直接出向く家庭訪問)し、個々の状況に応じた子育て支援サービスの情報提供や相談をきめ細やかに行う、「子育て寄り添い訪問事業」を始めています。」(P127)
★団体事務所がある杉並区の先駆的な事例だけど、あまり知られていないので、広くアナウンスしたいところ。
・「切れ目のない支援によって、子どもが無園児になるのを防ぐことが可能だと考えています。」(P133)
・(無園児を減らす方策について、章タイトルにわかりやすく現れているので、以下、章タイトルをメモ)
(3)障壁を取り除く①ーーー申請のハードルを下げる。(P136)
(4)障壁を取り除く②ーーー多様な言語や文化への対応(P140)
(5)障壁を取り除く③ーーー障害のある子どもや医療的ケアの必要な子どもへの対応(P156 )
・(日本の在留外国人は、2018年では273万人)「2019年に施行された新たな在留資格「特定技能」では、介護や外食、農業など人手不足が深刻な14業種に5年間で最大34万5150人の受け入れが見込まれているため、在留外国人の数は今後さらに増加すると見込まれます。」(P142)
・「公衆衛生学は残念ながらあまり人気がなく、講義で社会資源とか連携とか言われてもピンとこない学生さんも多い(省略)」(P172)
・「社会をインクルーシブにしていくためには、就園の三つの壁の中でも、私たちの意識を変えていくことが何より大切でしょう」(P176)
・「子ども貧困の研究をしていると、貧困に対する大人の意識は少しずつ変わって来ているように感じます。」
★子ども虐待防止への意識も、少しずつ変わってきていると感じる。これは今の社会の良い部分。僕らはこの流れをさらに拡大していきたい。
・(以下、駒崎さんとのインタビューで、幼児教育の「無償化」ではなく「義務化」をイシュー化することについて、駒崎氏)「親だけで子育てするのではなく、外部の専門家と子どもが触れ合うという機会を担保する、つまり保育を通じて地域社会と接続するというようなイメージ(省略)」(P186)
★「幼児教育義務化」の本質は【地域社会とつながること】。児童福祉分野における「子ども家庭福祉」とほぼ同じ考え方で、重要な視点と思う。
(駒崎氏)「昔はみんなで一緒に同じことをさせるのが幼児教育だと思われていたんですが、現在は、工業社会に最適化させるような教育は古い、と考えられています。そうではなくて内発的に自分のテーマを自分で見つけて、そして自分で解決していく、というような学びの在り方というのが、これからのAI時代を生きる子どもたちに必要なものだといわれています。」(P187)
・(待機児童問題について可知先生)「ジェンダーの問題がとても大きいと感じます。もし待機児童問題で父親が仕事を失っていたら、社会的に大問題となると思います(以下省略)」(P190)
・(待機児童問題について駒崎氏)「ジェンダー不平等が、すごく背景にあるんですよね。(中略)、そういう意味では、ある種「日本病」というか、日本の抱える病がこの待機児童問題には凝縮されていると思います。」(P191)
・(駒崎氏)「子どもの最善を親の権利の上に置く、という考え方であるならば、この義務化は社会的に正当化され得るのではなかろうかと思います。」(P193)
・(駒崎氏)「確固として揺るがない親像というものは、捨て去るべきだと思うんです。親は、状況や環境によっていくらでも崩れてしまう、壊れてしまう存在だと思っていただかないといけない。伝統的な家族観を持つ人たちからすると許しがたいことかもしれませんが、現実的には、24時間365日見てたら耐えられん、放置したくもなりますよ、ということです。
可知 その伝統的家族観を持つ方に「子どもを一人で24時間見たことがあるんですか」と聞いてみたいです。経験のある方で、「私は絶対に大丈夫」と自信を持って言える人は、ほとんどいないのではないでしょうか。」(P194)


* * *

 

子ども二人の父として、同書が提起する問題とその方策を概ね支持します。インクルーシブな社会とは、情けは人のためならず、を可視化したような社会ではないでしょうか。個人的には、子育てにおける「レスパイト」も、一般化させて行きたいです。


コロナでも、季節は巡る。公園の新緑が眩しいです。

f:id:yukkiestar:20200422170543j:image

 

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」読書メモ

f:id:yukkiestar:20200415172138j:image

#stayhome ということで、いつにも増して読書に集中。

 

30代の頃、耳の聞こえない人がどのようにコミュニケーションをしているのか知りたくて言葉のない世界に生きた男晶文社 1993年)やヘレン・ケラーの伝記を読みました。今回は目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)光文社新書 2015年)。以下、備忘メモ。「 」本の抜粋、( )は僕の補足、★は僕の感想。 

 

* * *


・「知ることは変身することである」(P22)
・「つまり「意味」とは、「情報」が具体的な文脈に置かれたときに生まれるものなのです。」(P32)
・「私が危惧するのは、福祉そのものではなくて、日々の生活の中で、障害のある人とそうでない人の関係が、こうした「福祉的な視点」にしばられてしまうことです。」(P36)
・「情報ベースのアプローチは福祉施策が担っていますが、意味ベースのアプローチはほとんど前例がありません。両者はおそらく対立するものではなく、補完し合うものでしょう。」(P42)
・「人は、世界をとらえるように世界を作ります。」(P58)

★!
・「感覚にはヒエラルキーがある。」「視覚は基本的に「感覚の王」」(P93)
・「教育とはまさに、子どもを触る世界から見る世界へ移行させることなのです。」(P96)
・「耳で見て目で聞き鼻でものくうて 口で嗅がねば神はわからず」(大本教出口王仁三郎が詠んだ歌)(P110)
・(ソーシャルビューで印象派の絵画を鑑賞したときのことを受けて)「この間違いこそむしろ正解です」(P168)
・(視覚障害者にとって)「陶器だといわれた瞬間に陶器になる」(P176)
・「つまりここでは、見えないという障害が、その場のコミュニケーションを変えたり、人と人の関係を深めたりする「触媒」になっているのです。」(P184)
★触媒=メディア。
・(インクルーシブデザインを受けて)「健常者を平均的なユーザーとすれば障害者は「極端なユーザー」であり、極端だからこそ新しい視点を持っている可能性がある。それを創造につなげようとするのです。」(P188)
・「何人もの研究者が指摘していますが、こうした個人の「できなさ」「能力の欠如」としての障害のイメージは、産業社会の発展とともに生まれたとされています。」(P209)

★生産性の呪い。
・「そして、約三十年を経て2011年に公布・施行された我が国の改正障害者基本法では、障害者はこう定義されています。「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」。(中略)障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。」(P210,211)
★「個人モデル」から「社会モデル」へ。福祉分野でよく用いられる「ミクロ/メゾ/マクロ」に通じると感じました。きずなメール事業も「個人モデル」から「社会モデル」に転換する最中。10年もかかってますが…汗笑

 

* * *


現代アートの世界には、アーティストと鑑賞者が入れ替わったり、同じ水準に立つ地点がありますが、本書で紹介されている「ソーシャルビュー」はこれに近いと感じました。

 

著者の伊藤亜紗氏の専門は美学と現代アートなので、福祉の世界をアートから切り取る面白さに溢れています。社会学社会福祉現代アートの「地続き感」が心地よかったでした。

 

#stayhomeでリッチ化するお家ごはん。

f:id:yukkiestar:20200416062847j:image

 

#みんなで乗りこえよう

#みんなで乗りこえよう

今日の夕方にも緊急事態宣言が出るそうです。テレビの画面の向こうでは、その中身を詳しく解説してくれます。

 

スタジオで。

 

大事なことを伝えるために、皆さん外で仕事をしておられる。そのことに頭が下がります。

 

緊急事態宣言の具体案を作っている人々、例えば政府の官僚の皆さんはどうなんでしょう。ちゃんと家に帰れているのでしょうか。緊急事態宣言を会見で発表する政治家の方、会見場のイスを並べたりして準備してしている人、放送のためカメラを回す人はどうでしょう。

 

さらに、医療崩壊を食い止めようと、現場で奮闘しておられる医療関係者の方々。人工心肺機器を急ピッチで生産する工場で働いている方々。他にも、僕の想像が及ばないだけで、この状況をなんとかしようとがんばっている方が無数にいるはず。そして、そういう人々にも、家族や大事な人々がいるはずです。

 

危機を食い止めようとしている人々が、全体の犠牲になってはいけないと思うのです。

 

NPOコア・コンピタンスは「参加と協力」。一部の方だけに犠牲を強いることなく、協力して#みんなで乗りこえよう、と伝えたい。

 

#みんなで乗りこえよう は先日、団体内で考えたメッセージです。今、一部のきずなメール配信自治体では、このメッセージが日々流れています。

 

「みんな」に何かを伝えようとすると、どうしても大きな言葉になっていきます。そこから意味がこぼれ落ちないよう、自分ができることをやろう、と思いついたのが、このブログ記事を書くことでした。

 

#みんなで乗りこえよう

 

これが伝わることを祈ります。

 

あと僕の場合は、手洗いする、マスクを着ける、外出を減らすですね。

 

↓事務所にて、どうしても出勤しないといけないスタッフへのメッセージ 

f:id:yukkiestar:20200407104021j:plain

 

「人と人の距離感」と、きずなメール。

 

f:id:yukkiestar:20200406141413j:plain新型コロナウィルスの感染拡大にともない、自治体における「きずなメール」の臨時的な対応が増えています。

 

「きずなメール」は「通常配信」と「月日指定配信」があります。基本原稿+自治体情報による「通常配信」は自動で行われていますが、日時を指定して発信する「月日指定配信」は、自治体からの依頼により団体側でプログラムをセットします。この「月日指定配信」の差し替えや、臨時的に追加した配信が増えているのです。

 

さらに「通常配信」の「自治体情報」に急遽、コロナ関連の情報を追加するところも出てきています。

 

日頃(平時)から"つながり続ける"ことを目指しているきずなメールが、こうした事態に何ができるか、試されていると感じています。


* * *

  

「デジタル時代における人と人の距離感」が、コロナがきっかけで、課題として明確になりました。

 

スマホのようなデバイスを通して、どうやって“つながり続けるか”。押しつけにならず、適度な関係性を保ち続けるか。

 

「きずなメール」の場合は、

・確かな知識
・あたたかな励まし
・頼りたくなる相談相手

を編み込んだ「原稿」です。この「原稿」=コンテンツの力で、今できる精一杯のことをやっていければと思います。

 

散り始めた近所の桜。

f:id:yukkiestar:20200406095502j:image

 

 

「孤育て」から「子育ち」へ。

 

f:id:yukkiestar:20200316111113j:plain

 「孤育て」の予防から「子育ち」の支援へ。 団体創設10年目を迎える 今、僕はこのメッセージを皆さんにお伝えしたいと思っています。


* * *


団体を設立したのは、10年前の11月3日。準備は春くらいからやっていましたが(記憶おぼろげ)、まだ名前のない「きずなメール」を始めるにあたって、やったことが「ステートメント」を書くことでした。


僕には「全ては言葉である」という思い込みと信念があります。だからこれから始めることを、自分なりの言葉で捉えられれば実現できるかも、と思ったのでした。 


完成したステートメントは妻との共作で、その後何度か改訂を経た、2011年5月時点のものがこちらにあります。

この2行目に、

 

「乳幼児虐待」「産後うつ」「孤育て」(孤独な子育て)という悲しい問題が横たわっています。


とあり、この頃に初めて、「孤育て」という言葉を使っています。その後、団体のmission として前面に押し出されて、今に至ります。

 

* * *


まず「課題」があって、それを解消する「方法」が見つかる。でも僕の場合は、「きずなメール」という「方法」が先あって、その後「孤育て」という「課題」を見つけました。「きずなメール」という「素材」があって、素材が社会で最も役立てる環境を整えていったともいえます。


創業2年目くらいまで、この”逆転した感じ”に気後れを感じていましたが、ある本が、これは当たり前であることを教えてくれました。その時の感想を、こちら↓のブログに書いています。

 

ameblo.jp

誰もが制約条件の中で、何かを生み出したり、創り上げたりしていく。そういう方が圧倒的に普通であり、歴史はそういう”普通“でできている、と。


後にNPOには【課題解決型】【価値創造型】があるとの分類を知り、きずなメールは「価値創造型」だと理解しました。


あれから10年。「孤育て」の語は子育てを取り巻く課題のひとつとして、認知されてきています。だとしたら僕らも、「孤育て予防」のmissionは保ちながらも、さらに一歩進んだmissionを考え始めてもよいのでは、と思ったときに出会ったのが、“子育ち”という言葉です。


* * *


なぜ”子育て”ではなく”子育ち”なのか。


保育士試験のテキストを読んでいると、「環境を通して」「環境に親しみを持ち」など「環境」という言葉が頻出します。不思議だったので調べると、「環境さえ整えば、人間は自ら育つ」ことを前提とした言葉遣いだとを知りました。


さらに調べていくと、西洋のhuman rightsの思想(人権思想 ※)が源流にありました。


human rightsの思想は、見えにくいですが、僕らの周りに静かに広がって根付いています。もちろん、子どもにも適用されて、1990年「児童の権利に関する条約」(United Nations Convention on the Rights of the Child)に結晶しました。


日本では2016年、改正児童福祉法第一条に「児童の権利に関する条約に則り」という文言が組み入れられました。この改正は「保護対象としての子ども」から「権利主体としての子ども」への大転換と言われています。


「子育て」という言葉は、「保護対象としての子ども」のイメージが濃いです。守ることは大事ですが、日本の親世代は「子どもを保護して、健康に、正しく、賢く育てなけれればならない」「母親は愛情深く子どもに接しなければならない」という無言の社会的要請に疲れ切っているように見えます。親も普通の未熟な人間なのに、なぜ子どもを正しく導いたり、道徳を教えることができるのでしょうか。


僕らにできるのは、子ども自身の”育つ力”を支える、応援する、環境を整える、くらいではないでしょうか。


「子育て」=保護対象としての子ども=大人が子どもを守り導く
「子育ち」=権利主体としてしての子ども=大人は子どもの”育ち”を支える


10年たった今、「子どもの最善の利益」(the best interests of the child)を考慮する意味も込めて、「子育て」から「子育ち」へと、意識を少しずつ変化させてもよいのでは、と思うのです。

 

もうすぐ春ですねー。

f:id:yukkiestar:20200313132630j:image

 

 

 

※「権利」「人権」という言葉の語感に違和感を感じるのでひとまず「human rights」と表記しています。その理由は↓こちらに。

kizunamail.hatenablog.com