きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」読書メモ

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#stayhome ということで、いつにも増して読書に集中。

 

30代の頃、耳の聞こえない人がどのようにコミュニケーションをしているのか知りたくて言葉のない世界に生きた男晶文社 1993年)やヘレン・ケラーの伝記を読みました。今回は目の見えない人は世界をどう見ているのか (光文社新書)光文社新書 2015年)。以下、備忘メモ。「 」本の抜粋、( )は僕の補足、★は僕の感想。 

 

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・「知ることは変身することである」(P22)
・「つまり「意味」とは、「情報」が具体的な文脈に置かれたときに生まれるものなのです。」(P32)
・「私が危惧するのは、福祉そのものではなくて、日々の生活の中で、障害のある人とそうでない人の関係が、こうした「福祉的な視点」にしばられてしまうことです。」(P36)
・「情報ベースのアプローチは福祉施策が担っていますが、意味ベースのアプローチはほとんど前例がありません。両者はおそらく対立するものではなく、補完し合うものでしょう。」(P42)
・「人は、世界をとらえるように世界を作ります。」(P58)

★!
・「感覚にはヒエラルキーがある。」「視覚は基本的に「感覚の王」」(P93)
・「教育とはまさに、子どもを触る世界から見る世界へ移行させることなのです。」(P96)
・「耳で見て目で聞き鼻でものくうて 口で嗅がねば神はわからず」(大本教出口王仁三郎が詠んだ歌)(P110)
・(ソーシャルビューで印象派の絵画を鑑賞したときのことを受けて)「この間違いこそむしろ正解です」(P168)
・(視覚障害者にとって)「陶器だといわれた瞬間に陶器になる」(P176)
・「つまりここでは、見えないという障害が、その場のコミュニケーションを変えたり、人と人の関係を深めたりする「触媒」になっているのです。」(P184)
★触媒=メディア。
・(インクルーシブデザインを受けて)「健常者を平均的なユーザーとすれば障害者は「極端なユーザー」であり、極端だからこそ新しい視点を持っている可能性がある。それを創造につなげようとするのです。」(P188)
・「何人もの研究者が指摘していますが、こうした個人の「できなさ」「能力の欠如」としての障害のイメージは、産業社会の発展とともに生まれたとされています。」(P209)

★生産性の呪い。
・「そして、約三十年を経て2011年に公布・施行された我が国の改正障害者基本法では、障害者はこう定義されています。「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」。(中略)障害の原因は社会の側にあるとされた。見えないことが障害なのではなく、見えないから何かができなくなる、そのことが障害だと言うわけです。障害学の言葉でいえば、「個人モデル」から「社会モデル」の転換が起こったのです。」(P210,211)
★「個人モデル」から「社会モデル」へ。福祉分野でよく用いられる「ミクロ/メゾ/マクロ」に通じると感じました。きずなメール事業も「個人モデル」から「社会モデル」に転換する最中。10年もかかってますが…汗笑

 

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現代アートの世界には、アーティストと鑑賞者が入れ替わったり、同じ水準に立つ地点がありますが、本書で紹介されている「ソーシャルビュー」はこれに近いと感じました。

 

著者の伊藤亜紗氏の専門は美学と現代アートなので、福祉の世界をアートから切り取る面白さに溢れています。社会学社会福祉現代アートの「地続き感」が心地よかったでした。

 

#stayhomeでリッチ化するお家ごはん。

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