子どもへの接し方は、親との関係が一次情報になります。核家族で育つと、他の一次情報を得る機会はほぼありません。
僕の父の代表的な言動を上げてみます。
・「警察とヤクザは変わらない」
・「俺はもともと何も持ってない」
・「いつかあの山が金になる」
こういう言動を一次情報としてインプットされた子どもがどう育つか、という問題はいったん保留。
親になった僕は、自分と父との関係は、再現したくないものでした。なので僕の子育ては、「見たことがないことをやる」ことになります。「見たことがないことをやる」のは難しい。
ただ今回のテーマは、「見たことがないことをやる」ことではありません。
「父との関係は再現したくない、という判断はどこから来たのか?」です。
それは、学校教育だったり、社会だったり。
学校で文字を習って、知識を自分で吸収できるようになって、自分で考えれらるようになって見えて来た世界は、概ね良好です。いや今割り引いて伝えました。良好どころか、素晴らしい。
「社会」という抽象が、僕を「社会化」した、ともいえます。「社会」は「人の集まり」。「人の集まり」が「人が集まって暮らせるように」、暴力的傾向があるメンバーを文明化/社会化する仕組みが機能したかも知れず。
「その通りです!」と認めてくれる人や視点はないので、自分なりの納得形成です。
僕は父との関係を再現したくなかったけど、我が家の女子男子には「再現したい」と思ってもらいたいので、彼らとの関係構築に時間資源を投入中。
今週、二人で海に行ってきました^ ^ サザエは海にお返ししました。