・「子どもと話す方法が少し見えてきた」というという、これまで話せなかったようですが、そこまでではなく、「子どもの感情を受け取る方法が少し見えてきた」が正確でしょうか。
・精神科医の方に、「"感情"とは"ー単語で表せる心の動き"」と教えていただきました。複雑な心身の変化を、無理やり一単語に押し込んでいるともいえます。「嬉しいけど寂しい」といった複雑な心身の動きは、一単語では表せません。
・「自分の感情」と、それを表す「言葉」がぴったり重なり合うことは滅多にない。多すぎるか少ないか、たいていズレている。このズレが、社会や物語の原動力と考えています。
・だから自分の気持ちを"代弁"(アドボケイト)してくれる音楽や文学や美術がある。ネトフリやアマプラの中にドラマや映画がある。比喩(レトリック)がある。「伝わった」「聞いてもらえた」と感じられたら嬉しい。
・子どもは、そもそも、うまく話せません。自分の気持ちを表す方法は大人のように多くない。「寂しくて悲しいし怖いから守って欲しいけど誰もいないから攻撃に身構える」みたいな複雑な感情を、周りから聞き知った「ムカつく」という一言で終わらせてしまったり。
・大人には、子どもの伝えたいことを一緒にカタチにしていく、構造化していく役割がある。このプロセスが「子どもアドボケイト」ではないかと。
・「感情」にどのように「言葉」を重ねていくかについては、この本も参考になりました。
・できるかどうかはわかりませんが、少なくとも、「彼らが伝えたいことを受け止めようとする自分」を目指そうと思います。