きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

「相談」できないから虐待になる。「相談」以外の予防的対応を考える。

「辛さ」や「不安」があれば「相談」してほしい。できるだけ「相談」しやすい環境をつくるし、「相談」がきたら気持ちを尽くして寄り添う。大事な心構えです。

一方で、そもそも、「相談」というアクションがうまくできないから虐待してしまう、という要素を見逃してはならないと思います。

世の中には、自分の「辛さ」や「不安」をうまく言葉にできない人たちがいます。僕はこのことを、自分の子どもを見ていていて、明確に意識するようになりました。思えば、自分もそうでした。

うまく言葉にできないから、イライラする。
うまく言葉にならないから、イライラする。

 

イライラの根っこには辛さや不安があるのだけど、自分で気づかない。気づいたとしても、うまく言葉にできないし、言葉にならない。

言葉になったとしても、それは「ムカつく」という雑な口癖だったり。

子ども虐待の重大事件に関する著書を読むと、虐待した親の多くに、「ちゃんと子育てできる親でありたい」という気持ちがあり、でもうまくできなくて、追いつめられていく様が見て取れます。

人間が、自分の感情を言葉にして他人に伝えるには、自分の感情を振り返る内省の時間と、感情に言葉を当てはめる言語的習熟が必須です。「相談」は高度に社会的に言語操作です。しかも得意不得意が大きく分かれます。不得意な人にこれを求めるのは、時に過酷です。

子ども虐待対応も、「相談」という基本施策に加え、「相談」以外の予防的対応を考える時期に来ているのではないでしょうか。

僕は、予防的対応の選択肢のひとつが、「弱いきずなでゆるやかにつながり続ける」ことだと考えています。繊細なコミュニケーション設計が必要な時代になってきたのです。

薔薇の季節。香りは写真には映らないのが残念。

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