きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

「支援を要する『人』がいるんじゃないんです。支援を要する『時』が誰にでもあるだけなんですよ」

「支援を要する『人』がいるんじゃないんです。支援を要する『時』が誰にでもあるだけなんですよ」

florence.or.jp

この言葉が忘れられないので、繰り返し思い出しています。僕にも、支援を必要とする「時」があって、助けてもらったからです。

10年前、起業時の大変さと乳幼児の子育てが重なっていました。オフィスもなく自宅が仕事場でした。子どもが発熱すると保育園に預けられないので、仕事が止まります。夫婦で起業しましたが、二人とも仕事となると引かないのでぶつかりました。逃げ場もない。一時的に離れて暮らしたりもしました。仕事としては、溺れる人を助けるような仕事を目指していたわけですが、当時はよく「溺れる人が、溺れる人を助けることができるのだろうか」という言葉が頭をよぎりました。

こんな「時」、助けてくれた人々がいました。妻のご両親、SVPプロボノチームの皆さん、当時の杉並区の市民活動センターの皆さん、他いっぱい…。

「人」に助けてもらいましたが、その「人」たちを育んだ「社会」もある。「社会」は、それを守りたい、良くしたいと願う、無名の、無数の人々に支えられている。無名の、無数の人々を育む制度や法もある。僕は社会という「抽象」に助けられたと感じました。でもこの感じを、うまく説明できませんでした。そんな時に出会ったのが、この言葉です。

「支援を要する『人』がいるんじゃないんです。支援を要する『時』が誰にでもあるだけなんですよ」

僕にも、支援を要する「時」があった。その時、支援できる人が、助けてくれた。戦争経験を経て、こんな社会を、黙々と作ってきた無名の、無数の人々たちがいる。今度は僕が、誰かの「時」を支える側になるのかな。自分のできることからやって行こう。こうやって社会は回って行くんだな。

がんばりすぎないように、がんばろ。

外人墓地でパチリ。

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