きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

物体としての僕の最高の刺激について

物体としての僕は、エネルギーを得て出します。エネルギーは「食物」として得ます。

かつて人間は狩りや採取から食物を得ましたが、今は「記号」を通して得ます。この方法は「知識労働」と呼ばれています。記号を操作することで、エネルギーを得る労力は、時代とともに劇的に小さくなっています。

物体としての僕は、五感を通して脳で刺激に反応しています。脳は同じことを考え続けることはできないので、同じ刺激にはやがて反応しなくなります。だから刺激は、常に変化する/させる必要があります。

変化する刺激の代表が「物語」です。脳は、無秩序な出来事に関連性を持たせて物語を作ります。物語は物語を再生産します。

物語はたいてい、僕らが快適に生きられる方向に形作られて行きます。でもすべてコントロールすることはできないので、自己を破壊する方向に形作られることもあります。自己破壊も刺激です。僕は自己を破壊しないように注意していますが、コントロールすることはできません。

変化する刺激のもうひとつの代表が「偶然性」です。未来がわからないと不安ですが、未来がわかりきってしまうと刺激はなくなる。ゲーム、ギャンブル、ガチャ、人生…どれも偶然性の刺激です。

ある刺激の繰り返しから逃れられなくなると、「嗜癖」addiction になります。中毒です。砂糖、コーヒーは社会的なので中毒には見えません。仕事、学習も同様です。嗜癖はさまざまな形をとります。

ギャンブルやアルコールは、自己破壊に至りやすい嗜癖です。不安や暴力に嗜癖する人もいます。

お釈迦様は「全て刺激だから、意識を向けるものは何でもいい。呼吸とか歩き方に意識を向けると、穏やかに暮らせる」と「ヴィパッサナー瞑想」を提案しました。歩きながら「右足、左足、右足…」と歩くことだけに集中して…理屈は面白いですが、やってられません。僕の場合はランニングが嗜癖です。バンクーバー・サンドウィッチも。

以上は僕が作った、というより、先人からの引用を組み合わせた「物語」です。夢中になって書きました。「物語」が最大の刺激です。「刺激」という「物語」でもあります。多くの人と関わり喜びを分け合う物語が、物体としてと僕の最高の刺激かもしれません。ということで、今日は年1回の総会です。

カモの親子。誰かに伝えたくなるのはなぜ?

f:id:yukkiestar:20230526015425j:image