きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

考えていることは伝わらないのかな、と考える時があります。

自分が考えていることは伝わらないのかな、と考える時があります。疑問か、無力感か、力不足なのわかりません。

・きずなメールを始めた時から、「読む人には無名、事業に関わる人たちの間では有名」が理想だと思ってきました。難しいでしょうか。

・自分が考えつくアイデアは、他の人も考えつく。ならばアイデアそれ自体に価値は乏しく、考えついたアイデアを、他の人にない情熱でやりきれるかどうかがアイデアを形にすると考えてきました。極端でしょうか。

・物事を無矛盾に説明できる体系やシステムは存在しない。仕事や生活も同様で、矛盾が噴出する地点を引き受ける心構えや行動が体系やシステムを担保する、と考えてきました。偏っているでしょうか。

・毒と薬は同じ。人を損なう道具と、人を生かす道具は同じ。どんな道具も、用いる人の認識で価値が定まっていくと考えてきました。不遜でしょうか。

・こういう考えが、あるフィールドでは自然なことで、別のフィールドでは異質に見える可能性も考えます。

・伝わらないと感じるのは、僕には伝えたいことがある、といえます。伝えたいことが伝わった、という自己認識が得られるのは、どんな時で、どんな感じでしょうか。

・こんな問題設定をしている僕は、「伝えたいことが伝わった、という感触を得ていない」ことを示しています。異なるフィールドから見ると、「伝えたいことはすでに伝わっている」状態を、僕が「伝わっていない」と認識している可能性もあります。

・「伝わった」という自己認識はない。でも「伝わっている」。確かめようがないですね。

・今回これを書くとき、「だけ、さえ、しか、すら」などの副助詞、取り立て助詞とよばれるものは避けたつもりですが、難しいです。

 

「ないものはない」と言い切ってしまうところに憧れます↓。

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僕はふたつの解釈があると思っています。
①「すべてある」という意味。
②「ないものはないんだからしょうがない」という開き直りの意味。
どちらでしょうね。