きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

昨日は終戦記念日でした。

・昨日は終戦記念日でした。

こちらでも紹介した「怒りをコントロールできない子の理解と援助」を読んでいるとき、自分自身の怒りルーツが第2次世界大戦にあるとリアルに感じたことがあります。

・戦争や医療など、遅れると命に関わる状況では、「対話」での合意形成は不可能。意思決定する人、それに基づいて動く人という階層が必ず発生します。意思決定者が怒りで人を動かすことも増えます。戦争では、これが日常化します。

終戦時の日本軍の数は約275万人。問題解決方法としての「怒り」で人を動かすことに馴染んだ人が約275万人、大陸から帰ってきたことになります。

・戦後、この275万の人々が、段階的に社会復帰します。平和になったとはいえ、何か起こったとき、「自分がよく知っている問題解決の方法」を用いるのは自然な流れ。その子どもたちも、この方法を見て育ちます。

・僕の父は戦争に行ってませんが、その上の人たちの問題解決の方法は日常的に目にしたと思われます。それを僕にも適用した可能性は高い。

・こんな感じで、比喩ではなく、体感的事実として、僕らの「怒り」のルーツには第二次世界大戦があると感じます。東アジアが「怒り」だらけだった時代。「戦争のトラウマ」です。

・でもこれも、世代を経るとともに減ってきているとも考えます。2022年8月15日の僕は、生きるための衣食は足りていて、対話の時間はあります。この時間は、だれか一人が一挙に作ったものではなく、「怒り」による問題解決を繰り返したくない無数の人々が77年かけて作ってきたと想像し、謝意を感じます。

・怒られるのは嫌だし、怒るのも嫌です。僕の歳になると、「機嫌が良い」というのはもうそれだけで徳のポイントが高い。だから機嫌よくやっていこうと心がける日々です。

 

自動車船。自動車の輸出入の船です。高層ビルを横倒しにしたような大きさです。

f:id:yukkiestar:20220816124010j:image