きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

言葉に所有されている

f:id:yukkiestar:20220331224452p:plain本を整理していたら、20代で読んだ本が出てきました。その一節。

自分が言葉を所有している、と考えるから、我々は言葉から締め出されてしまうのだ。そうではなくて、人間は言葉に所有されているのだと考えた方が、事態に忠実な、現実的な考え方なのである。人間は、常住言葉によって所有されているからこそ、事物を見てただちに何ごとかを感じることができるのだ。 自分が持っていると思う言葉で事物に対そうとすることより、事物が自分から引き出してくれる言葉で事物に対することの方が、より深い真の自己発見に導くという、ふだんわれわれがしばしば見出す事実を考えてみればよい。

大岡信「詩・ことば・人間」講談社学術文庫

今の仕事では、比喩ではなく、日々「所有されている」と感じます。最初に「きずなメール 」という名前を選び、ステートメントを作り、Vision、Missionを作った。今もそれらの言葉が、やるべきことを引き出して、導いてくれているのは、生活実感としてあります。

僕は河内弁という、日本でも有数のことばの荒々しい土地で生まれました。そこはdeath やfuck に関わる言葉が多く、これを身体化して育ちました。でも教育を受け、本を読むようになってから、人は言葉に所有されたり走らされたりしていると知りました。今日本語でこれを書いていますが、日本語は自分で選んだわけではない。death やfuck に関わる言葉も、自分で選んだのではない。自分で選べるのなら、できれば豊かな日本語、美しい日本語に所有されたいと思う、55の春です。

事務所の前の桜。

f:id:yukkiestar:20220401092822j:image