きずなメール・プロジェクト 代表のblog

顔と名前を出す人生です。

10年後の「ありたい自分」をイメージしてみました。

人間が五感から得られる情報量は、「視覚」が8割を占めます。 これを利用して、「ありたい自分の姿」を細部まで視覚化= イメージできれば、それに近づくことができると考えています。

年始めに、思考実験を兼ねて、10年後くらいの「ありたい自分」 をイメージしてみました。熟考しないで最初に出てきたイメージは

「お金はいっぱいあって、別荘にフェラーリで乗りつけるオレ」

情けないですが、これが自分という現実に向き合いつつ、 このイメージを検証します。

「お金がいっぱいある」のはいいとして、「別荘」「 フェラーリ」は、体験したことがない、 外部から与えられたイメージ。 マンガやテレビから入ってきた「記号」 です。一人称の「オレ」も同じなので、まずこうした記号をアタマから締め出します。

その後改めて「ありたい自分」をイメージしてみると、「 自分ひとりが楽しくてもしょうがない」ことに気づきました。 別荘でもフェラーリであっても、そこに誰かいないと。

「ありたい自分」は「周りの人との関係性」でできているので、「 周りの人との関係性」をイメージする必要があります。

イメージしてみると、自分も周りの人も、 それぞれに自分のやりたいこと/ やるべきことに意欲的でハツラツとしている絵が浮かんできます。 「意欲的」「ハツラツ」は、見ればわかるだろうし、 伝わってくるだろうし。

「周りの人」も具体的にしてみます。「周りの人」を「 物理的に距離が近い人」と考えると、まず家族。 一緒にご飯を食べたり、生活音を共有する関係性。「生活音を共有する関係性」はいいですね。 音もイメージの一部ですから。

家族の次に「物理的に距離が近い人」は、仕事で接する人たち。 その人たちが仕事に意欲的な姿を見たり感じたりできるといいなと思います。生活音は無理としても、 人となりが感じられるやり取りがあればなおよし。

こんな感じで距離を伸ばしていけば、やがて「社会」「共同体」につながるでしょう。「関係性」「意欲的」「ハツラツ」 などの抽象的なコトバを視覚的に捉えるには、 まだまだ考える必要もありますが、ひとまずここまで。

イメージといえば、これがありました。

www.instagram.comhttps://www.instagram.com/p/Cm2oRWuImrm/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

Instagramにある北欧のコレクティブハウス。こういう時間、いいなあ。

あと、「想定外の不条理でも受け止められる自分のイメージ」 も忘れてはいけない。生きていると、やっぱりこういうこと、 ないとはいえないので。

これを読んでくれてありがとうございます。 これを書いた僕と、読んでくれたあなたとの関係性をイメージできればと思います。


月。

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