わが家に思春期の人たちがいます。自分を重ねてしまって、心配になります。
僕の思春期は40年くらい前です。記憶は嘘をつく前提で、書きます。
高校ではテニス部に入ったけど、下手だった上に、先輩とも馴染めず、1年で辞めました。
その後はバンドをやったりして楽しかったのですが、何かに振り回されている感じでした。
今の僕から見たら、当時の僕は、寂しがっていました。それが自分でわからない。「寂しい」「孤独だ」という言葉を自分の感情にあてはめることなく、あてはめられずに、たぶん、モテるモテないとかイケているイケてないとかに、振り回されていました。
親は良くも悪くも放任主義。親も時代に振り回されていました。
そんな思春期の自分に、今の自分が声をかけるとしたら、どうなるでしょうか。
「君はまだ、自分の感じたことや、まわりにしてほしいことを、自分に必要な形で表せてはいない。自分の感じたことや、まわりにしてほしいことを、自分に必要な形で表すのは、大人でも難しい。自分を振り返る静かな時間と、相応の技術が要る。でもどうだろう。自分の感じたことや、まわりにしてほしいことを、自分に必要な形で表せるようになれたらいいと思わないか?」
くどい。嫌がられますね。声をかける前に、まず僕が「聴く」ということをすればいいですね。僕は当時、自分の話を、年上の人が「聴いてくれた」と感じたことはなかった。
と書いて、いや、ありました。数は少ないけど。危ない。記憶は記憶を欺きますね。
聴いてくれた人のことは、信頼していました。その信頼が、「人」という集合全体への信頼の拠り所となっていることが、今はわかります。
思春期の人の、拙い語彙で、自分を捉えたり他人に何かを伝えるのは、そもそも難しい。だから彼らの言葉を「聴く」ところから始めようと思います。できるかなあ。
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思春期は近代になって生まれたといわれています。戦国時代は12〜14歳で元服→結婚でしたから。文明化が進むと、成熟のスピードは遅れる、のではなく、ゆっくりになります。生活が清潔になり、言葉がキレイになるのと同様に。
40年前は10代が思春期でしたが、今はさらに長く、個人差も大きくなっているようです。人によっては30歳まで思春期かもしれません。
だからといって特別なこともなく、一回きりの人生なのは変わらないと思うので、後悔がないように生きてもらいたいです。
人生5周目、とかいうドラマもありましたが、それはそれということで。
はやぶさ。